• 南京事件について – 反省

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    ひょんなことから、以下のサイトの存在を知った。今更かよ、と思われても仕方ない。不勉強を恥じるばかりである。

    南京事件-日中戦争 小さな資料集

    事実がよく整理されており、必見のサイトである。よくある問題点も整理されており、南京事件の実在について丁寧に議論されている。思想の左右はあれども、諸氏はまずこのサイトを読んで、しかる後に事実に基づいて議論されたい。

    おいおい、お前さん、「歴史を捏造する中国と韓国」という記事で「まずは中華人民共和国。代表は「南京大虐殺」。私は、本多勝一『中国の旅』も読んだが、南京大虐殺に関する部分はすべて本人証言だけで構成されており、悪意を以て日本を貶めようとした書であると断定する。この本は中国の南京大虐殺プロパガンダの引き金となった本であり、これだけで朝日新聞社は日本国民に対して謝罪と賠償を行った上で、国際社会に対して弁明を行う責任があるが、知らん顔をしている。さすが、日本を第二次世界大戦へ大衆を煽り駆り立て戦意を高揚させておきながら、GHQ のお咎めを受けることを畏れて軍部に全責任をなすりつけた無責任新聞社だけある。」
    と論難してたじゃないか。とご批判があろう。粛々と受け入れる。

    当該記事はミスをごまかすことのないよう無修正でそのまま残す。ただし、『中国の旅』に関する評価は別に変えない。

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  • Twitter さん、やらかす

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    Twitter アカウント、@mzch が凍結された。問題とされたのは以下の内容のツイート。

    戦前も戦後もなにかにつけ暴力で物事を解決しようとするのがサヨクの特徴。逆らえば殺す、が連中の信条。昨今右傾化といわれているのも、若者が常識に従うようになっただけ。老害パヨクはとっと死ね! https://t.co/XOBUsPw7DY

    この内容が暴力的だと言うなら、キチガイのように喚いているパヨクアカウントを全部凍結しろ。ちなみに、英語発信用のアカウントも一緒に凍結されていたが、こちらは理由もなし。PC、Mac 関係のことを2,3カ月に一度くらいしかツイートしていないので、理不尽以外の何ものでもない。SNS からは距離を置くべしと改めて認識した。

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  • 歴史を捏造する中国と韓国

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    ほとんど覚え書きだが、忘れないうちにメモ。

    まずは中華人民共和国。代表は「南京大虐殺」。私は、本多勝一『中国の旅』も読んだが、南京大虐殺に関する部分はすべて本人証言だけで構成されており、悪意を以て日本を貶めようとした書であると断定する。この本は中国の南京大虐殺プロパガンダの引き金となった本であり、これだけで朝日新聞社は日本国民に対して謝罪と賠償を行った上で、国際社会に対して弁明を行う責任があるが、知らん顔をしている。さすが、日本を第二次世界大戦へ大衆を煽り駆り立て戦意を高揚させておきながら、GHQ のお咎めを受けることを畏れて軍部に全責任をなすりつけた無責任新聞社だけある。

    「南京大虐殺」がなかったことの証明は簡単である。死体がない。三十万人も殺したというならそれに相応しい大量の白骨が出土しなくてはならない。逆に中国政府にとってこれほど証明の容易いものはない。大量の白骨を南京もしくはその周辺から掘り出せば良いのである。中国の死生観において墓所に埋められていない人骨を掘り出して、改めて埋葬することは何らやましいことではなく、むしろ賞賛に値する行為である。なぜ中国政府はこの一石二鳥の方法を実行しないのか。理由は改めて述べるまでもない。

    何? 長江に流した? 三十万人も長江に流したら如何に広い長江といえども死体が河面を埋め尽くす。目撃者の数が半端なく多いはずだが、そんな目撃証言はない。第一、日本をあげつらうので必死だった東京裁判でも黙殺された事件について何を言っているのだ。日本はそんな事実はないと毅然として反駁し、客観的で合理的な証拠の提示を求めれば良い。

    なお、元日本兵で虐殺を証言したとされる連中が少数存在するが、当然「洗脳」を受けている。日本政府は当人の履歴を確認し、中国共産党軍に捕虜とされていた時期がないか確認すべきだ。

    当時の国民党政府は統治能力が皆無で全国の治安を確保できなかった。むしろ、国民党政府軍による掠奪が至るところで起こっており、日本軍の南京入城はむしろ歓迎されていたのである。なぜそんなところで虐殺など行わなくてはならなかったのか。これも合理的説明はない。当たり前である。虐殺自体存在しない妄想なのだから。

    尤も当時中国軍は「便衣兵」を駆使していたからその掃討は指令されている。「便衣兵」とは民間人=非戦闘員のふりをして民間人に紛れ込んで戦闘行為を行うものであり、日本軍はこの掃討に非常に苦労している。中国側が虐殺の被害者として具体的に申してているのは、まずこの「便衣兵」であると断定してよい。当時のハーグ陸戦条約では「便衣兵」のように非戦闘員を偽装する者を戦闘員と認めていないから、これをどのように排除しても合法である。

    さらに「南京大虐殺」の証拠とされる写真類について、少なくない数の写真が捏造または中国軍自身の残虐行為の写真であることがわかっており、すべての写真について「南京大虐殺」と関係があることを証明することが求められる。これらの写真類については「南京大虐殺」と無関係とする反論には再反論しているが、「南京大虐殺」と明確に関係ありと証明された写真が一枚も存在しない。幻に写真があるわけないのだから当然ではあるが。

    次に、韓国はまず「日本」と交戦した事実はないことを広報によって知らしめるべきである。韓国の若者は朝鮮戦争を日本対韓国、中国、アメリカの戦争であったと妄想を逞しくし、戦勝国であったという幻想に酔っているようだが、無論そんな事実はない。第二次世界大戦中、朝鮮は日本に併合されていたのであり、むしろ日本軍として連合国と戦いたがった。それが事実である。

    「慰安婦問題」については説明を行うことすら馬鹿馬鹿しいので、当時売春は合法な商売であり、日本軍はその健康管理や労働実態を管理したが、日本軍自体がその募集に関与した証拠は全く存在しない。全て民間業者によって募集されている。朝鮮に悪質な業者がいたことは事実であり、娘を騙して慰安所に押し込んだ例もあっただろうが、それは軍の責任ではない。とだけ言っておく。なお、「慰安婦問題」も、本人証言だけしか証拠と呼びうるものはなく、しかもその本人が詐称している可能性が高い。軍が関与していたと言うなら、客観的かつ合理的な証拠が必要であるが、もちろん彼らにそんな理屈は通用しない。

    この件に関してはアメリカに飛び火しているので、駐米大使を召還し、なぜ事態を静観していたのか厳しく詰問すべきである。無論知らなかったは通用しない。情報収集は大使の重要な職務である。やみくもに反論しても泥仕合になるだけなので、アメリカの反韓輿論が盛り上がる気配をキャッチして、これもまた毅然として不当な名誉毀損であると主張すれば良い。そのような機会は韓国および韓国出身者自身がいくらでも提供してくれる。

    そもそも韓国は現在進行形で売春婦を海外へ八万人「輸出」している。うち五万人が日本で稼いでおり、主要な輸出先である。2011 年 12 月 9 日の「韓国経済新聞」で「男性連帯という民間団体の推計では(韓国の売春婦は)189 万人」となっている。海外へは八万人という数字は過小に見積もりすぎたものとしか思えない。韓国の性産業は、GDP 比で言うと、5% を越える一大産業なのである。つまりは、同じ事がかつてもあったというだけのことに過ぎない。馬鹿馬鹿しすぎてため息が出る。

    この件に関して、Wikipedia の英語版における「Comfort women(慰安婦)」の項目は、編集が韓国人の恣意に任されていて日本人の編集だとわかると即座にキャンセルされてしまう。日本政府は、韓国政府および Wikipedia 財団に日本の名誉を著しく毀損したことをもって謝罪と賠償を求める、もしくは、Wikipedia 財団については悪意をもって日本の名誉を傷つけたとして、日米両方で提訴すべきだ。この名誉毀損は GDP に少なからぬ影響を与えていると思われることから、100 億ドルくらい請求しても当然ではなかろうか。

    最後に、日本は第二次世界大戦で行った過ちを悔い、これを繰り返さないことを肝に銘じているが、同時に「中国」と「韓国」が何をしたかも肝に銘じている。そう。肝に銘じている。

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  • ネトウヨとは何か?

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    答え:ネトウヨなどいない。Q.E.D.

    最近、友人連中と話をしていると「ネトウヨ」とか言うんだっけ? と問い返される機会が増えている。それも大学時代の友人からも聞かれたので、正直がっくりきた。私はコミュニストに近い思想の持ち主である。しかし現実の共産主義者は独裁主義者であり全体主義者であり、故国を破壊して顧みないので激しく嫌悪している。正直、あんな腐った連中に共産主義を標榜しないでもらいたい。

    かつてマルクスの資本論や他の著作を読んで、その史的唯物論にある種の感銘を受けた。ただ、史的唯物論は参考にしたけれども、結局彼は資本と賃労働の間の矛盾がますます大きくなり、この矛盾が資本主義の「弔いの鐘」となるとしたところで認識が尽きた。それは時代の認識に制約されたためであるが、自らも極貧の中で過ごしたマルクスは、心底資本主義を憎んでたんだなあと行間から読み取った。

    信じない人もいるのだが、私は資本主義が嫌いである。資本主義は最終勝者を生みだし、必然的に市場の寡占、独占へと進む。もちろん各国それに対して手を打っていて、厳しく監視しているが、構造上一部の商社が富を集積し、大多数は何とか暮らしていけるだけの社会を変えなくてはならないと思っていた。だがそれは観念的に理論を口にするだけで実現できることではない。歴史の流れは広大かつ雄大である。それは必然によって流れを変え、法則に支配されている。

    全共闘世代が熱中したコミューンは、私益が前提の社会に共同体を作ろうという運動として始まったが、現実の社会圧の前にもろくも崩れ去った。私も共同体を作りたかった。だがそれは弱者の避難所であってはならず、私益を徹底的に排除しながらも、安心して子供を産み育て、そして安心して死んでいける組織でなくてはならない。レーニンを皮切りに共産主義革命が次々と起きたが、ほとんどの国は、皇帝が書記長と名前を変えただけのシステムしか生み出さなかった。それはマルクスの理論の中にはない、本来ありうべき姿ではなかった。マルクスはそれを見る前に死んだが、多くの人が裏切られたと思っただろう。私もその理論と現実の乖離に不審を抱いた一人だった。

    悩み続けているうちに大学は留年し、しかしそんな人間でも拾ってくれる会社があったので就職した。共同体経営を標榜していたが、結局、個人個人の私益性をどうにかしないと共同体建設は不可能であることを悟った年月であった。私益の本質は何で、これを人類から取り除くためにはどのような手を打たねばならないのかを考える必要に迫られた。その会社で歴史認識に関する勉強会が始まった。多くのことを学ばせてもらったと思う。社会を規定しているのは、最も基盤に近いところにある婚姻制度であり、これを通じて社会通念が発生し、常識として定着し、人々を縛っていく過程も学んだ。結局身体を壊してドロップアウトしたが、非常に示唆に富んだ年月であった。私の認識はこの頃に鍛えられている。

    そこで、一人になって考えたのは、その理論がどこまで正しいのかということであった。私が欲しいのは共同体組織であって、有象無象の営利企業ではない。そこでかつての共同体がどのように変質させられ、破壊されていったかを改めて日本の歴史から始めて縄文時代から現代に至るまで婚姻様式がどのように変遷し、風俗がどう変わってきたかを調べることで考察しようと考えた。歴史を知らぬ者に未来を語る資格はない。時間がかかったが、その成果物が『日本婚姻史概説』である。

    外部からの目も重要である。そこで古代中国の正史に目をつけた。歴史学者なら常識として知っていることも高校、大学で学んだ程度の知識しかなくてしかもあやふやだった。今現在日本に関連する部分だけでもと思い、せっせと読んでみた(翻訳しているとはとても言えない)。それが『中国正史に見える古代日本』である。次は『古事記』『日本書紀』は最低限押さえた上で、他に読める文献があれば、読みたいと考えている。正しい歴史の認識なくて未来を導き出すことは不可能であるばかりか、先人と同じ轍を踏む可能性が高い。

    古代ばかりが歴史ではない。しかし平安時代以降の文献は専門家でも解読すらできない文章の集積である。素人が手を出して何とかなるものではない。ネットや書籍をあさりながら、できる限りのことをするつもりであるが。

    無論、中世、近世、近代と進めるつもりである。その時の日本人が何を考え、どう生きていたのかを知り、また元寇といった朝鮮が手先となって(朝鮮はフビライ・ハンに日本を侵略しろと唆している)元が攻めてきたことの真相も考察したい。朝鮮民族に骨の髄までたたき込まれている事大主義とそれに基づく裏付けのない尊大な態度は既にこの頃から見えるのであり、今や民族の執念となっている。朝鮮は自分の悪事は隠し、敵国を誹謗中傷するが、その体質は既に高麗王朝(西暦918年〜1392年)から始まっている。三国史記などを読むと都合の悪い記録は除外し、自分たちが勝った戦いだけが記録されている。そう歴史の捏造はそんな昔からお手の物だったのである。新羅=朝鮮は「新羅の入寇」(西暦811年から新羅が滅亡する935年まで)と言って、元寇(文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、弘安の役(こうあんのえき・1281年))に先立って日本を侵略している。元寇では、フビライ・ハンに日本を侵略することを勧めただけでなく、率先して軍備を整えている。奴らが侵略主義者であることは、竹島の例を見てもわかるが、それは歴史的なものである。

    近代史に至ってはマスゴミ、サヨクの捏造オンパレードである。あまりに多すぎて教科書はまったく信用できない。本当にウソが書いてあるからである。戦争を煽ったのは朝日新聞である。戦争をしぶる政府に国民を扇動して戦争を決意させたのだ。つまり本当の戦犯は朝日新聞に代表されるマスゴミなのである。しかも当時の日本はABCD包囲網により資源が手に入らず、自滅したくなければ南洋に出るしかなかった。すなわち、負けるとわかっていても戦争に踏み切らざるを得なくされていたのである。こういった正しい歴史を発掘し、胸を張って日本はやれるだけのことをやりきったのだという自信を子供たちにつけなくてはならない。日教組は売国奴に堕し、害悪になっている。公務員の団結権はこれを取り上げるべきである。もともと公僕なのだから労働組合など必要ない。非合法団体に指定すべきだ。

    現代に至っては中韓は放言し放題である。これを牽制し、押さえ込むのが外務省の存在意義であり、外交官の使命である。日本の利害に直接絡むことは徹底的に潰さなくてはならない。ところが在米公館にしても、ヨーロッパやその他の国でもパーティばかりやって本務をおろそかにしている。外務省こそ国賊の巣かも知れない。

    繰り返すが、私は共同体思想の持ち主である。誕生から成長、婚姻、老い、死を包摂する共同体は、惣村の解体によって失われてしまった。その惣村さえ、古代の氏族共同体に比べれば非常に私益的である。一日も早く、腐れサヨクどもを殲滅し、真の共同体建設に向かって人類は進まなくてはならない。このままでは共倒れが待っているだけである。

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  • 日本人の原点に農耕はない

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    次のブログ記事が、Tumblr でリブログされているのを見かけました。
    http://shinjihi.hatenablog.com/entry/2013/08/13/165545

    このブログの著者の言わんとしていることはわかるし、それは大いに肯定したいところなんだけど、いかんせん論拠が正しくなくては全面的に賛成とは言えなくなってしまいます。なぜなら、日本人の気質の淵源として「農耕」が挙げられていますが、それが全て間違いなので仕方がありません。以下、各論にて示します。

    1)【上司が来ているのに遅く出るのは非常にまずい】【上司が残っている間は帰りにくい】→これ農耕文化です。

    違います。農耕は耕作者が自分の決めた予定で作業をする産業です。田舎へ行って実際の作業を見てみて下さい。無論、機械化されているので、個別度が極端に上がっていますが、機械が入る前も、田植えと稲刈り以外は各自ばらばらでやってました。田植えや稲刈りは結を組んで集団でやったのですが、それは期間が限られている上に自力で労働力を調達する方法が他になかったからです。田植えの時期は五月女と言って若い女性が集団で田植えを賃作業として請けて村々を回っていましたが、上司なんぞおりません。ムラの庄屋さんが見張ってるわけでなし、村長が監督に来るわけでもなし。およそ上司の目を気にする気質とは無縁でした。

    村の人「明日から全員田植えだ。」

    A君「俺、俺の分の田植えは明日やるから今日は寝てます。」

    そんなことは言えないと主張されていますが、田植えだって一瞬で終わる作業ではありません。当然順番です。どこからどんな順番でやるかはムラの寄り合いで決めていました。ですので、「明日から全員田植えだ」→これ自体がありえません。農業をもっと勉強された方がよいと思います。

    じゃあ、上司の目を気にするってどこから来たのよ? というと、こういう気質を今でも濃厚に持っているのは、狩猟採集民族です。狩猟こそ集団で行わなければ獲物が狩れません。またボスの指示に逆らったり手前勝手なことをする奴がいると、段取りが狂い、やはり獲物が狩れません。全体を采配するのはリーダーやボスです。その指示通りに動かないと成果が手に入らないとなれば、自然、リーダーやボスの動向を気にかけるようになります。

    日本は、縄文時代という、とてつもなく長い、だいたい一万年という期間を狩猟採集で過ごしました。それで定住までしてたんですから、非常に生産性の高い国土だったのです。それが、たかだか二千年ちょいしか歴史のない農耕気質に取って代われる? 馬鹿も休み休み言うものです。日本人の原点は縄文時代にあるのです。

    2)【あいつがサボリ癖あるんで、頭に来る】→ これ農耕文化です。

    これも農業に対する誤解があります。農業は、例えば稲作でも田んぼごとに用水や日射、土壌で条件が違いますから、一斉作業というのは本当に稀です。労働集約の極致、田植えですら、村を挙げて一斉にとはなりません。それに農業は稲作がすべてではありません。畑作、麦作り、養蚕、果樹園、全部耕作者がどんなものを植えるかどこへ売るかを決めてました。また、自作にせよ小作にせよ、耕作者が生産物の責任を負います。荘園制度の昔から惣村制の近世、地租改正以後の近代、皆耕作者が自らの責任で収穫を上げなくてはなりません。平安時代なんか予定の年貢を納められなかった者を武士がリンチにかけている話があちこちに残っています。その武士自身、都に上れば年貢の未納で同じように貴族からリンチされているのですから、それはもう。他人がさぼってようが根を詰めていようが、自分が規定の年貢を納められるかどうかが重要になってきます。そりゃ秀吉の太閤検地までは年貢といえば村に請け負わせるものでしたが、年貢さえ納めれば文句が出なかったので、何をしていても文句は出ません。逆に年貢を納められなかったら普段働き者であっても、村中からリンチされるか村八分になるか、いずれにせよ生きてはいけません。なにせ村が肩代わりしなくちゃならないので。農業こそは成果主義であって、過程を問わないのです。

    「自分の分の田植えをサボって、俺たちにその分を押し付けて楽をしている感じがする」→これ、ないんです。自分の分の田植えをサボったら、自分の田は稲が育たないだけです。無論村八分です。年貢を肩代わりするのは村でしたから。江戸時代なんかは耕作者を直接藩なり幕府なりが代官を通じて把握していましたから、完全に個人の責任です。他人は口を出しません。公儀から仕置きを受けるのも耕作者自身です。もちろんかつての時代も日本人は狩猟採集的でしたから、基本的に真面目に勤め上げるものでした。周りの目も気にしてましたし、サボってばかりだと悪口を言われました。でもそれは農耕の本質とは関係ないのです。

    サボる奴がいると切実に困るのは、やはり狩猟です。決められたことをちゃんとやらない奴がいると、獲物の追い込みにも穴があくわけで、そこから逃げられてしまいます。その結果、全員が食料を調達できなくなります。自然、各自真面目にやってるかどうか互いにチェックするようになります。

    3)【年長の人に反対されると通せない】【全員一致の意見が尊重される】 → これ農耕文化です。

    残念ですが間違っています。本当に年長者の意見が何よりも尊重されるなら、周期的に襲ってくる不作、飢饉に対応できなくてはなりません。が、いつもその場限りの対応で、村は本当に無力です。これはそんな古老の知恵など何の意味もないことをよく表しています。旱が続いたりしたら、古老の知恵より暴力闘争です。水争いが死人の出るほど激烈になる場合もある緊張したものであったことをご存じないのでしょうか。農業の知恵は「暦」に集約されており、それ以上の対応はもっと広域の藩とか幕府といったレベルでないと対応不可能です(ひどい飢饉の場合は藩レベルでも対応不可能で、幕府が藩を救済しなくてはなりませんでした)。ゆえに年長者の意見はほどほどにしか扱われなかったのです。「隠居」というのが何を意味していたのかよくお調べになった方がよろしいかと思います。

    「狩猟社会では、狩りは毎回違います。同じところに同じ獲物が同じ数だけ待っている可能性は限りなくゼロに近い」そうです。だからこそ、古老の意見というものが重要になってくるのです。狩りにせよ災害にせよ様々なケースに対応してきた知識が応用できる場面が無数にあるのです。万年同じ事を繰り返す農耕のどこに古老の意見の出番があるでしょう。しかも既に述べた通り、切実に困った時には役に立たないのです。

    「従い、狩猟社会のリーダーはその能力が衰えれば次のリーダーにその役割を渡す事が集団全体(その衰えてきたリーダーにとってさえも)の利益をもたらします」違います。能力を何だと思ってらっしゃるのでしょうか。ボケたら役に立たないのは狩猟に限りません。ゆえに除外されます。ここで言われているのは体力でしょう。加えて狩りの実際をご存じないため、まるで見当違いのことを仰ってます。狩りのリーダーは体力勝負ではありません。確かに老人にはキツいでしょうが、農耕だって七十,八十になればできることは極端に限られてきます。狩りのリーダーは判断することが仕事です。その判断力を維持する体力がなくなった時点で引退するだけで、過去の豊富な事例知識は臨機応変に対応を迫られる狩猟においてこそ重要なのです。春に判断して結果が出るのは秋とかのロングスパンでは判断もへったくれもありません。結果の見当がつく段階になった時には手遅れです。

    もちろん狩りが終われば、次の狩りまでお休みです。体力を回復する余裕は充分にあるのです。これに対して農耕は年中働き通しです。縄文人に比べて弥生人は骨が太いという研究結果がありますが、農耕により労働が強化されたためであるとされています。体力リタイアは農耕の方が早いのです。

    「一番の年長者は尊敬はするものの、その年長者の意見で狩りが左右されることはなかなか無いはずです」→狩猟採集民族について調べたことがありませんね? 何より一番の年長者の意見をリーダーやボスは尊重します。自分にはない豊富な経験に裏打ちされた忠告は、狩りを成功させるのに重要な要素なのですよ。何せその年長者ですら判じかねて神にお伺いを立てることがままあったのですから。

    なお、全員一致の意見が尊重されるのは、狩猟採集、農耕に限らず、集団運営の基本です。これが尊重されなければ、そもそも多数決原理が破綻してしまいます。

    「イスラエルでは【10人の会議で9人の意見が一致したら、10人目は違う意見を言う事が義務付けられている。これを10人目の男という。】そうです」本当かなぁ。でもこれって多様性の原理を主張しているだけで、全員一致が悪いとは言ってないと思うけど。

    4)現代日本社会は農耕文化だけで良いでしょうか?

    非常に残念ですが、出発点を間違えているために、ことごとく的を外しています。欧米は狩猟民族ではありません。欧米こそ極めて農耕的なのです。だからこそ個人主義が根付くのも早かったし、組織分担というものにシビアなのです。逆に日本は極めて狩猟採集的です。【上司が来ているのに遅く出るのは非常にまずい】【上司が残っている間は帰りにくい】 【あいつがサボリ癖あるんで、頭に来る】 【年長の人に反対されると通せない】【全員一致の意見が尊重される】最後を除いてすべて狩猟採集民族が濃厚に持っている気質です。全員一致は狩猟採集民族、農耕民族、掠奪民族みなに共通する属性です。

    5)農耕は非常に重要です。

    確かに重要です。農耕民族が起こした工業という産業に狩猟採集民族的気質で適応してしまったがために、社会の各所で歪みが出ています。農耕民族的規範に従わないと社会が病んでしまうのです。その意味で、日本人は農耕民族的規範を身につけるべきで、特に政治家や官僚、経営者はそのような規範を自らに課し、進んで社会を引っ張らなくてはなりません。ブラック企業を放置していると労働市場が不健全化し、産業そのものが成り立ち行かなくなっていきます。

    ですが、私は日本人の狩猟採集民族的気質、つまり、空気を読んで交際を考える。集団内の視線に敏感で、周囲にきちんと配慮ができる。年長者を敬う。外来の者にも親切に接する。宗教に寛容である。そんな点が大好きです。それは美徳でもあります。どんな規範にも良い面悪い面が必ずあります。狩猟採集民族規範の良い面と農耕民族的規範の良い面のいいとこ取りができれば理想なのですが、さすがにそれは望みすぎでしょう。でもできるだけそういう良い面も残しつつ、しかしビジネスはドライに現実的に対応していきたいし、してもらいたいと思います。

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  • 『中国正史』に見える古代日本

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    『中国正史』に見える古代日本」を作成しました。縦書き対応かつルビ対応のブラウザが必要ですが、是非ご覧になって下さい。『漢書』から『新唐書』までに記載されている倭人、倭國、日本に関する下りを抜粋し、原文、訓読文、現代語訳に註をつけています。

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  • 自民党依存症

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    最近、自民党改憲案を腐してるツイートに突っ込んだら軽くバトルになってしまった。要は観念サヨク特有の「何が何でも自民は悪い」という聞き飽きた文句の繰り返しである。麻生財務大臣のナチ発言捏造など、マスゴミも売国政党民主党を大絶賛していた過去を正当化するために、いや、おそらくはそんなことなどけろりと忘れて、自民バッシングに余念が無い。マスゴミが腐っているのは戦前からだからもうどうしようもなく、立ち枯れさせてしまうしかないが、売国サヨクもひどさは勝るとも劣らずのレベルであることを再確認した。

    冒頭の彼は「自衛権など必要ない」などという時代錯誤な主張を大真面目に行っており、本質が売国奴であることを露呈しているが、与那国島石垣島の人たちが肌身で感じている危機を顧みようともしていない。国民を守るのは国家の義務なのだが、そんな離れ島の人々のことなどどうでもよいらしい。と思っていたら、


    あ、もしかしてこのツイートは捏造ではないか、とお疑いの方がいれば、スナップショットを取ってあるのでご覧の程を。上から五つ目のツイートが件の発言。

    つまり、憲法とは何なのか、何もわかっていない文字通りの無知だったわけだ。知らないのに知ったかぶりをして馬鹿をさらす。Twitter にはこういう人多いね。それにしても、憲法さんが国家さんに補償するんですって。まるでどっかの中国・韓国タカリ国家みたいですね。閑話休題。

    彼がその言動に反してサヨクですらないというのはある意味画期的である。彼はマルクスという名前は知っていてもエンゲルスは知らないだろう。フォイエルバッハに至ってはそれが何?ってところじゃないだろうか。レーニンが何をした人かも知らないだろう。毛沢東はさすがに知ってるだろうが、周恩来で既に怪しい。鄧小平天安門事件とともに忘れられてるかな。戦後、左翼というのは思想的に急進的なグループであり、時代の寵児であったことがある。尤もあさま山荘事件が暴露したように—それ以前にスターリン大粛正や、毛沢東文化大革命を知った後では当然の帰結であったと言うことができるのだが—彼らは観念論、建前論に終始し、現実の分析能力や対応能力が未熟なまま、過激で非現実的な主張を繰り返す路線をひた走った結果、人類が根源的に持つ攻撃性、つまり暴力に訴えて自己の正当性を担保しようとするまでに至った。気高く掲げた理想は灰となり、やがて忘れられてその攻撃性だけが残ると、こういう人間ができ上がるのだろう。今のマスゴミも同じである。

    かつての安保世代、つまり今の団塊の世代も、一応は理論的帰結として売国に走ったのだが、今はもう中国と韓国に奉仕するただの走狗に成り下がってしまっている。売国なら何でも良いという状態だ。だから自民党憲法改正案の何がいけないのか、どこを改善すべきかあるいは代替案は?と問われると黙ってしまう。その存在は、日本を貶めることのみに特化しており、批判は多々あるものの、曲がりなりにも日本を支えている自民党に反発することでしか自分を主張することができない。つまり、自民党に依存しないと存在意義すら確立できないのである。

    マスゴミは、海外に転信してまで麻生氏の発言をナチ擁護みたいに捏造して宣伝しまくってはしゃいでいるが、民主党政権下で、ほとんど政治的主張をしていなかったことを国民は忘れていない。大真面目に言論統制をした方が良いのではないかと考えたことがあるくらい、マスゴミのこの落差は激しい。彼らはもはや自民党なくして自分たちの政治主張もできなくなっているのである。これも自民党依存でなくて、何だというのであろう。

    どんな依存症も同じだが、依存対象が急に奪われると離脱症状が起きる。マスゴミ、民主党の場合は韓国との癒着、無軌道な売国行為、国民を遺棄して顧みない災害対応など、日本でなければとっくに暴動が起きて政権が倒される事態になることをやけくそになって実行していた。何のために政府があり、何のためにマスゴミの存在が許されているかを完全に忘却し、否定対象がなくなってしまったことで暴走した精神活動のままに日本を傷つけ続けた。のごときは「俺に決めさせる!」なとどなったという。首相が決断しなければ誰が決断するのだ。批判を恐れて責任回避に汲々とする姿は、無能がトップに立つと国家に何が起きるかを国民に知らしめた。

    ところが自民党が政権に復帰すると、まるで何事もなかったかのように両者とも以前の続きを始めている。依存対象が供給されて、離脱症状が治まったからである。だが、依存症患者に再度依存対象を与えるとどうなるかは誰もが知っている。症状はさらに悪化し、患者の組織を破壊し、やがて死を迎えさせる。これを手放しで喜ぶことはできない。患者は断末魔の苦しみから逃れるために何をしでかすかわからない状態になるからである。もとから乏しかった倫理観は完全に喪失され、正気を失った患者は犯罪だろうが何だろうが手を出すようになる。その犠牲になるのは罪のない国民である。

    少なくとも、冒頭で挙げたような無知サヨクやプロ市民団体という連中、民主党に代表されるような売国、反日活動を公然とあるいは隠れて行う連中に対する監視を怠らないようにしなくてはならない。自分の子供が可愛いなら、自分の身内が幸せでいられることを望むなら、もはや破壊衝動しか残っていない深刻な「自民党依存症」患者を放置することはできないのである。アル中薬中が最期に周りをどれだけ不幸のどん底にまで落とし込むか、話を聞いたことがある人も多いだろう。「自民党依存症」患者も同じである。何をするかわからない。どんな悲惨な目に巻き込まれるかも知れない。国民の一人一人が、そうなる前に相手にとびかかって体を押さえ込み、無謀なことをさせないよう、その用意だけはしておかなくてはならない。

    今までのように放置してはいけないのである。それは最悪の選択だ。

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  • 『日本婚姻史概説』を公開しました

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    日本婚姻史概説』を公開しました。ぜひご覧になって感想をおよせ下さい。

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  • 日本の古代史を考える—補足7『論衡』

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    後漢時代に王充が著した『論衡』は、当時流行していた讖緯説・陰陽五行説に基づく迷妄虚構の説・誇大な説などの不合理を徹底的に批判した書物です。ですので、以下の記述を虚妄であると片付けることはできません。

    之時 天下太平 倭人來獻暢草 (第五卷 異虚第十八)
    時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 (第八卷 儒增第二十六)
    成王之時 越常獻雉 倭人貢暢 (第十九卷 恢國第五十八)

    ところがこの記述は認めても、ここで言う「倭人」は日本人のことではなく、江南の人々を指したものだとする解釈を見かけました。というより、まるで既定の事実であるかのような扱いです。馬鹿も極まると妄言が激しくなるものだと思いました。日本の学者は駄目すぎます。

    この「倭人」が「江南人」であるという根拠は、「暢」「鬯」と書かれているものに求められています。そこでまず「暢」を漢字辞書で調べてみます。「まつりに使う酒。鬯と同じ」とありますので、次に「鬯」を調べます。「香草の名前。鬱金草のこと」とあります。では鬱金草を調べてみましょう。「鬱金草(うこんそう)のこと。みょうが科の多年草。冬に地下茎から黄色の染料を取る。また、むかしこれを酒にひたして鬱鬯を作った。鬱金香をひたすという説は誤り」とあります。どうやらウコンのことのようです。ちなみに「鬱鬯」は、「鬱金草の地下茎をついて、煮て、まぜた黒きびの酒。まつりに用いた」とあります。ところが、ウコンは西暦659年の唐本草(新修本草)という本に見えるのが初出で、その頃、つまり初唐の頃中国にもたらされたと考えられているのです。ということは、鬯はウコンではないことになります。

    他に鬯について書かれた本はないかと探したところ、『山海経箋疏』という『山海経』の注釈に鬯とは霊芝のことであると載っているのが見つかりました。やったね、これで解決だと馬鹿な学者は躍り上がって喜んだのですが、これは(西暦1644年〜1912年)の郝懿行(かくいこう)が付けた註です。郝懿行はその情報をどうやって入手したのでしょう。しかも、霊芝は爾雅にも「芝」として記載されているのですから、王充がわざわざ別名で書いたことにしなくてはなりません。ところでその『山海経箋疏』はどれくらい信憑性があるのでしょう。千五百年も前の王充が示した言葉の意味が伝わっていたとは考えられません。それならそもそも議論になったり、注釈を付けたりする必要がないからです。郝懿行がいかに優れた学者であったとしても、それだけで「鬯」=「霊芝」説が正しいとはできません。おそらく、郝懿行もウコンが周代にないのは知っていたので献上品に相応しい植物として霊芝を挙げたのでしょう。つまり、この「鬯」=「霊芝」説も実は根拠となると非常に怪しいのです。

    なのになぜ、「鬯」=「霊芝」説が定説のように語られ、それに基づいて『論衡』に現れる「倭人」が江南の人々であると断定されるのでしょうか。それは、縄文時代に朝貢できるような文化が日本にあったはずはないという思い込みです。学者には縄文土器に見られる美意識など感じ取ることもできないのでしょう。実に下らないお遊びで税金を空費してくれるものです。

    ところで面白いことに、中国の方がそのような「倭人」=「江南人説」(実際は広く、「中国、朝鮮居住説」と言うべきですが)に真っ向から反駁しておられます。北京大学歴史学部に勤めておられた沈仁安教授です。沈教授は、越常は中国南方の種族の一つで、倭人も南方というのでは四夷来朝という思想に合わない。故にこの倭人は東方=日本の倭人を指すものと見なすべきであり、王充の弁論の方法は実証を重視しているので、列挙した史料は確かな根拠のある歴史的事実であると断定されています。私もそう思います。後漢時代は儒教の時代でした。その勢いに乗って様々に怪しい論説が横行したのです。王充はそれを徹底的に批判しているのです。その本人が出所のあやふやな、あるいは「倭」と言って他の地方の人間を指すようないい加減な言説を自著に取り込むなどあるはずもありません。王充が単に「倭人」と言ったということは、日本列島に居住する人々を指して述べたのです。(なお、参考として、古代史に遊ぼう—倭と倭人(中国の文献から見た)—第13回をご覧になって下さい)

    事実をありのまま見て、それが何を意味するかを考えるのが学者あるいは知識人の本来の役割です。その役割を予断に基づいて放棄して遊んでいるような輩はすぐに馘首すべきだと思うのですが、皆さんはどうお考えですか。

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  • 日本の古代史を考える—補足6『魏略』

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    魏略』は魚豢によって編まれた書物で、元々は『三国志』「魏書」と同じ資料を参照して書かれたものだと思われます。現在は写本も伝わっておらず、後の書物に引用された部分が残されている程度です。書かれた年代も末から初ということしかわかっておらず、具体的な編年については定まっていません。ところがその後世に引用された部分に、倭のことが比較的多く出てくるので、日本では早くから注目された書物でもあります。以下、倭に関する引用部分の原文、訓読、現代語訳をあげます。

    原文(『漢書』地理志燕地条・顔師古注より)

    倭在帯方東南大海中依山島爲國度海千里復有國皆倭種

    訓読文

    倭は帯方たいほう東南大海の中にあり、山島にりて國をす。度海とかい千里にしてた國有り。みな倭種。

    現代語訳

    倭は帯方郡から東南の大海の中にあって、山や島ばかりの地で国を建てている。(そこから)海を渡って千里行くとまた国がある。みな、倭人の国である。

    どっちに千里行くのか書いておいてくれよと現代人なら思いますよね。『魏志倭人伝』に従うなら東へ海を千里渡るとなるのですが。それはともかく、決まり文句のように「依山島」という言葉が出てくることに注意して下さい。山はともかく「島」が多いところが「倭」だったのです。当然、奈良県などではないですよね。

    原文(『翰苑』卷三十より)

    従帯方至倭循海岸水行歴韓國至拘邪韓國七十里始度一海千余里至対馬國其大官曰卑狗副曰卑奴無良田南北市糴南度海至一支國置官与対同地方三百里

    訓読文

    帯方たいほうより倭に至るには海岸にしたがふ。水行して韓國を拘邪韓國くやかんこくに至る。七十里。はじめて一海をわたる千余里。対馬國に至る。其の大官を卑狗ひくひ、副を卑奴ひぬふ。良田無く南北に市糴してきす。南に海を渡り一支いき國に至る。官を置くこと対に同じ。地の方三百里。

    現代語訳

    帯方郡から倭に行くには、まず海岸沿いに南下し、船で川を航行して韓国を経て拘邪韓國に行く。(ここまで)七十里。そこで初めて海を渡って千里ほど行くと対馬國に着く。そこの長官は「ヒク(或いはヒコ)」といい、副官を「ヒヌ」という。良い田がなく、南北の市に出かけて売買をして食料を得ている。(そこから)南に海を渡ると一支國へ着く。長官、副官など対馬國と同じように置かれている。その地は三百里四方である。

    帯方郡からの旅程の一部を表した部分です。帯方郡から拘邪韓國まで七十里とあります。魏の一里は、443.8 m ですから、約 30 ㎞となり、こちらはこちらで距離があいません。『翰苑』に引用される際に、間違った距離が引用されたのか、もともと間違っていたのか、間に既に失われた別の語句があったのか、今となってはわかりません。なぜ丁度いい七百里を記したものがないのかそれはそれで不思議です。

    なお、ここで「一支國」と出てくるんだから、『魏志倭人伝』の「一大國」はやっぱり「一支國」の間違いじゃないの、と考えがちですが、『翰苑』自体は、代に書かれた本なので、引用の際に修正されている可能性があるのです。悩ましいですね。

    原文(『翰苑』卷三十より)

    又度海千余里至末廬國人善捕魚能浮没水取之東南五百里到伊都國戸万余置官曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚其國王皆属女王也

    訓読文

    また海をわたること千余里。末廬まつろ國に至る。人く魚を捕へ、く水に浮没して之を取る。東南五百里にして伊都いと國に到る。戸は万余。官を置くに爾支いきといい、副を洩渓觚せもこ柄渠觚へここ?という。その國王、みな女王に属する也。

    現代語訳

    また海を千里あまり渡ると、末廬國に着く。ここの人は魚を捕るのが上手で、巧みに水に浮かんでは潜りして魚を捕る。東南に五百里行くと、伊都國へ到着する。戸数は一万あまり。長官が置かれていて「イキ」といい、副官を「セモコ(或いははシモコ、ヒモコ)」「ヘココ(或いはヘケコ)」という。その国王は代々女王国に服属している。

    「其國王皆属女王也」ですが、『魏志倭人伝』では「丗有王皆統屬女王國」とあるので、それに準じて訳してみました。それにしても官の名称が意味不明です。これは『魏志倭人伝』でも同じで、中には「洩渓觚柄渠觚」でひとつの単語=官職名だと主張する人もいます。それでも意味不明なのは不明なのですが。

    魏志倭人伝』では「有千餘戸」ですが、こちらは「戸万余」です。他の国と比べてあまりに戸数が少ないので、ここは陳寿の書き間違いと思いたいところですが、『後漢書』東夷伝の例がある通り、魚豢が値を改竄した可能性もゼロではありません。あるいは『翰苑』に引用される際の改竄ということも。

    原文(『翰苑』卷三十より)

    女王之南又有狗奴國以男子爲王其官曰拘右智卑狗不属女王也

    訓読文

    女王の南、また狗奴くぬり。男子を以て王とす。の官を拘右智卑狗くゆじひくふ。女王に属さぬなり

    現代語訳

    女王国の南にはまた狗奴國がある。男性を立てて王としている。行政の長を「クユジヒク」という。女王に服属していない。

    魏志倭人伝』に「其南有狗奴國」とあるのは、女王國の南であることが、この記述からもわかります。

    原文(『翰苑』卷三十より)

    自帯方至女國万二千余里其俗男子皆黥而文聞其旧語自謂太伯之後昔夏后小康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害今倭人亦文身以厭水害也

    訓読文

    帯方より女國へ至るには万二千余里。の俗、男子はみなげいし、しかうして文す。の旧語を聞くにみずか太伯たいはくすゑふ。昔、夏后かかう小康の子、会稽かいけいに封ぜられ、断髪文身、以て蛟龍かうりうの害をけせしむ。今倭人また文身し、以て水害をいとはすなり

    現代語訳

    帯方郡から女王国までは一万二千里余りある。その風俗は、成年男性は皆顔に入れ墨をしてさらに体にも入れ墨をする。その祖先のことを聞いてみると、自分たちは呉の太伯の末裔であると言っている。昔夏王朝の少康王の王子が会稽に領土を貰って移り、髪を切って体に入れ墨することで、大魚水禽の害が避けられると住民に教えた。今倭人もまた体に入れ墨をして、大魚水禽の害を避けている。

    「鯨而文」は「鯨面文(身)」の誤りかも知れません。「聞其旧語自謂太伯之後」の一文は、『魏志倭人伝』にはない記述です。明らかに呉越の人々が倭の地に戦乱を避けてやってきたことを示します。

    原文(『北戸録』卷二・鶏卵卜より)

    倭國大事輒灼骨以卜先如中州令亀視坼占吉凶也

    訓読文

    倭國、大事はすなはちち骨をしゃくし以てぼくとす。せんの中州の令亀れいきの如く、たくて吉凶を占ふなり

    現代語訳

    大事なことがあると、都度骨を焼いて占いをする。昔の中国の亀卜のように、ひび割れを見て吉凶を占う。

    三国志の時代、亀卜は既に廃れていました。なので、「先如中州」とあるわけです。倭にはその亀卜よりさらに古い獣卜が残っていたことを示しています。

    原文(『三国志』「魏書」東夷伝倭人条・裴松之注より)

    其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀

    訓読文

    その俗正歳せいさい四節を知らず、ただ、春耕秋収を計り年紀となす。

    現代語訳

    その風俗には正しい暦がない。ただ、春に耕して、秋に収穫するのを計って一年としている。

    ここの解釈は大きく二つに分かれています。ひとつは「春と秋それぞれで一年と数える、すなわち今の半年がこの頃の倭の一年であった」とする説(古代二倍年歴と呼ばれています)と、もうひとつは、「春に耕して秋に収穫するサイクルをおおざっぱに一年と数えていた。つまり今もこの頃の倭も一年の長さは同じ」とする説です。悩ましいのは「不知正歳四節」とある点で、正歳で正しい年期、四節の節は節句の節で、季節の区切りを意味していると思われる点です。つまり、暦がないとしか言ってないので、春耕秋収もそれ全体で一年を表すと取ることも、春と秋それぞれで一年と取ることもできるのです。悩ましいですね。

    原文(『法苑珠林』魏略輯本より)

    倭南有侏儒國其人長三四尺去女王國四千余里

    訓読文

    倭の南に侏儒しゅじゅ國有り。其の人のたけ、三四尺。女王國を去ること四千余里。

    現代語訳

    倭の南に侏儒國がある。そこの人は身長が三、四尺しかない。女王国から四千里あまり離れたところにある。

    元の『魏略』には、多分、裸國、黒歯國についても記述があったのでしょうが、引用されていません。

    やけに『翰苑』卷三十からの引用が多いな、そういう本なのか、と思ったあなた。それは間違いです。実はこの本、日本の太宰府天満宮に卷三十だけが現存しているという超貴重本なのです。なので引用も卷三十からしかしようがないんですね。むしろ、倭のことが比較的多く言及されているので、現代まで保存されてきたのではないでしょうか。

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