• 専業主婦を否定しても子育ての問題は解決しない

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    産経新聞が『仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明』という見出しの記事を掲載し、それを池田信夫さんが『保守の劣化』というブログ記事で批判しておられます。

    漢字の読み間違いを国会で質問するような馬鹿なまねよりはまっとうな指摘だと思いますが、それはさておき。

    産経も大概ですが、私幼ヘッドラインの元記事を読む限り、仙石氏の歴史認識も大概です。専業主婦そのものは江戸時代から既に存在し、専ら家政にあたっていました。ただし、戦後の一時期のように結婚すれば誰もが専業主婦であったわけではなく、上級武士、都市部の富裕層に限られた現象であっただけにすぎません。また都市部における専業主婦は大正時代には既によく見られたものであり、別段戦後の特権ではありません。ただ国民の大部分が農業に従事しており、相対的に数が少なかったというだけの問題です。女性の社会進出が取りざたされた時代に専業主婦が増えるという現象には面白いものがあるのですが、ここでは置いておきます。

    さて、専業主婦を戦後社会の病理とするのは百歩譲って構わないとしても、「働く女性が結婚し、働きながら子供を産み、働きながら家庭を運営し、子育てをするという普通に行われてきた女性の環境」とはどこの国のどの時代のことを言ってるのか、彼自身わかっていないようです。まるでそんな環境がかつてはあったかのようなものいいですが、それこそサヨクに特徴的な「解放女性」に対する幻想であり、農家に嫁いだ私の祖母(もう亡くなって久しいですが)に言わせれば「貧乏だっただけだ」と笑い飛ばされてしまう言辞です。磯野さんちのフネさんだって、まさしくその戦後、東京に移ってからは内職をしながらカツオやワカメを育てていたわけで(そういえば最後は朝日新聞に連載されていましたね)、およそ専業主婦だったから働いていなかったというのも、これまたただの幻想です。定職についていなかったら働いていないとみなすとは、なんと貧困な労働観であることか。

    誰だってあくせく労働しながら子育てするより優雅にお茶しながら子供の面倒を見たいに決まっています。磯野さんちのフネさんだって東京に引っ越してくる前はそんな生活でした。既婚女性の憧れがそこにあるのは、VERYLEE, GISELe などの雑誌が売れていることからも理解できます。一時期流行ったシロガネーゼなどというのもそうですね。現実に専業主婦が雑誌に掲載されているような優雅でおしゃれな存在であったことは、一部の富裕層を除いてなかったわけですが、まさにその幻想をあおるようなことを仙石氏は言ってるわけで、そんな貧困な婚姻観、労働観しかない人間の言説に喜んで耳を傾けるなど私としては正気の沙汰とも思えません。子供を取り巻く環境も都市化の進展と共同体の解体とともに捉えればむしろ必然ともいえる変化を専業主婦問題という存在しない問題に還元し、豊かさの実現とともに現れた子供の学力の低下を保育の問題に矮小化するに至っては、彼が結局は社会運動家であり、政治家ではないのだという事実を裏付けするだけのことに見えます。

    このような婚姻観、労働観が工業社会の発展と共に擡頭してきたのは改めて述べるまでもありませんが、日本において工業化がもたらした現状を何も変えずに「主婦」の「子育て」だけ取り上げて問題化するというところに仙石氏や菅氏の本質的な危うさがあります。それは存在したことがなかった工業化以前の「主婦」のありようや「子育て」に対する幻想への回帰に端的に表れていると言えるでしょう。工業化の進展とともに都市部へ人口が集中し、伝統的な村落共同体が解体されるとともに、表面上は「会社」がその共同体を補完するかのように従業員を組織したことが問題の出発点です。日本の「会社」は利害を共にするという意味では村落共同体に通じるところがありましたが、婚姻女性や子供を本来的に包摂できないという点でカタワの共同体でもあります。そのため、男は「会社」という共同体モドキに属することで仕事に邁進し、子供は「学校」という会社モドキに属することで家から自由になってしまい、社会の基本単位である家庭が「会社」「学校」と「居住地」に分裂してしまいました。これが、今日に続く、家庭の機能不全(婚姻や子育て、教育の問題)の元凶です。それが一部都市民の問題に留まっているうちは社会全体にとって大きな問題とはなりえなかったのですが、戦後高度経済成長を経てバブルを迎え、経済的に成熟してしまった今、都市民が国家の多数を占めることによって、その破綻がクローズアップされるようになったのだと言えます。戦前は、家父長制がその矛盾をある程度押さえ込んでいたと言えないこともないのですが、大した資産があるわけでもない都市民にとって家父長制とは笑止といった程度の問題で、だからこそ大正時代、それまでにない女性の社会進出が行われたのです。もちろんそこにあるはずの「共同体」への参加欲求がその原動力にあったのは言うまでもありません。しかし家庭が「会社」「学校」と「居住地」に分断されたままという問題はそのまま残り続け、今に至ります。一時期もてはやされたキャリアウーマンというものもその本質的な部分は女性の社会進出を謳った戦前の女性解放運動と何ら変わることはなく、また同じ失望感とともに同様に挫折してしまったのも当然のことなのです。しかしだからといって、家庭を解体してしまえばよいかというと、そんな暴論はサヨクには通じても、社会を運営するという観点からは絶対に認められません。家庭という婚姻過程は工業化以前から存在する社会の重大要素であり、単なるイデオロギーで解体することは不可能であり、強制的にそれを行っても社会、集団自体が不健全化するということは、多くのカルト、あるいはヤマギシ会の実践を見ても明らかです。一夫一婦制に取って代わり、会社における生産過程を包摂し、実現が可能な家庭像が提示できない限りは、現実の家庭と折り合いをつけていかざるをえないでしょう。その意味では分断された家庭の分裂度合いを最小限に押さえ込むという、今現在他国が当たり前に行っている施策は一考の価値があります。というよりむしろそうするより外に今のところ手だてはありません。ところが政府は財界に首根っこを押さえられていてそれを言い出せません。労働組合ですらこの点では権益集団化して財界に同調していますから、民主党にはもっと不可能です。他国では当たり前の、一日八時間労働の実質施行がなぜ一部の企業だけの特権になっているのでしょうか。本当はそこに搾取があるのになぜマスコミはそう指摘しないのでしょうか。それはこの搾取が一部の労働者による大多数の労働者からの搾取でもあるからです。そしてその基盤にはもはや無意味となりはてた共同体としての「会社」の権益を守ろうとする労働者自身の手による働きがあります。問題の根は非常に深いところにあるのです。

    子育てが専業主婦や保育の矮小な問題ではないことは、国家の行く末を見据える上では当然すぎるほど当然のことですが、女性をよいしょするだけでそれが解決するはずはありません。「子ども家庭省」を作るというのは全く何もしないよりも遙かにましですが、確固たる政治観のないままに行政機関だけ作ったところで何ほどのことができるでしょう。単に役人の数を増やして厚生労働省や文科省と似たようなことをやるだけになってしまいかねません。記事の発端になった幼稚園情報センター 私幼ヘッドラインも仙石氏に批判的なのは当然すぎるほど当然です。

    ところで産経の見出しですが、扇情的であることは確かであるにしてもその手法は自民時代と何ら変わりありません。マスコミの代わり映えしない手法を今更問題視しても仕方ありません。日本の新聞をクオリティペーパーだと見なすから憤慨するのであって、単なるイエローペーパーの煽り記事だと思えばそんなものかという程度のことです。実際、日本にはイエローペーパー、イエローメディアしかありませんしね。池田氏が指摘する通り、産経だけの問題ではありません。また、記事の内容については仙石氏の女性観、労働観が端的に表れていてむしろよろしいのではないでしょうか。結局、仙石氏に現状を打開する政策が期待できないという点は変わりませんし、三歳になったら子供同士で育ち合っていく環境を作れば子供は健全に育つような主張も、その根拠が語られず、具体的な施策が「こども園」しかないのでは現実性がありません。大体、三歳というものオムツが取れる年齢だという事実以上のものはありません。この点を鑑みれば民主党が「こども園」案を強行するようなことがあれば、むしろ国民は物理的に敵対すべきでしょう。

    以上のような点を議論せずにただイデオロギーでひとまとめにしてあれこれ言うのは、仙石氏や現政権の問題点や危うさを覆い隠すことにしかならないと私は考えます。

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  • 「人口減少に対応した経済社会のあり方」に見る経団連の独善性

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    巷間、経団連が移民受け入れ1000万人を主張していることは賛否両論流布しているが、今一度原点に立ち返ってその主張が盛り込まれている「人口減少に対応した経済社会のあり方」に議論を加えてみようと思う。

    冒頭「2.わが国人口の展望」で、2055年までに総人口が8000万人台になり、そのうち高齢者が半分近くを占める事態になるという。一方で、わが国は専門技術者などの高度人材の受け入れが18万人にとどまっていると述べる。

    続いて「3.人口減少が経済・社会におよぼす影響」では、労働人口が現在の2/3にまで縮小するとし、「このような労働人口の縮小は、経済成長を少なからず抑制するように作用し続けると考えられる。」と結ぶ。さらに人口が縮小するということは生活必需品などの基礎的な財が売れなくなることを意味する。高齢者の嗜好は保守的だから買い替え、新規需要も見込めずこれも経済にマイナスとなる。住宅投資も高齢者が増えれば新築ではなく、改築・増築が主であろうから経済効果は望めない。
    そして真打ち、財政・年金制度の維持可能性が取りざたされる。散々議論されている問題でもあり、本稿の目的でもないので割愛する。

    ではどうするのかが、「4.中長期的な経済社会の活力維持に向けた方策」である。経団連が過去提起してきた内容が列挙される。
    「一、2007年9月に「国・地方を通じた財政改革に向けて」を公表し、経済界の考え方を示した」
    「一、2008年5月には「国民全体で支え合う社会保障制度を目指して」を公表して、制度横断的な見直しを訴えていた」
    「一、直近では「税・財政・社会保障制度の一体的改革に関する提言」をとりまとめ緊急に求められる改革について提言を行った」
    これを踏まえ、本提言では (1) 成長力の強化 (2) 未来世代の育成 (3) 経済社会システムの維持に必要な人材の活用・確保に焦点をあてる。

    (1) 成長力の強化
    持続的な経済成長は、所得の増加や雇用の創出を通じて、人々に豊かな暮らしをもたらす基盤となる。
    そのために、①研究開発活動の促進、②イノベーションを担う人材の育成と招聘、③世界の成長力の取り込み、④地域の活性化と道州制の導入が必要だとする。

    (2) 未来世代の育成
    ①少子化対策への真剣な取り組み=保育サービスの拡充で待機児童を解消する。産科・小児科医の確保。子育て世代への減税
    ②教育の再生=公立学校の質の向上。教員の質の向上が必要

    (3) 経済社会システムの維持に必要な人材の活用・確保
    ①女性の社会進出の促進=政府への子育て世帯への支援の拡充、企業自身も職場環境の抜本的見直しや子育て環境の整備
    ②国際的な人材獲得競争と日本型移民政策の検討
    少子化対策が功を奏したとして効果が出てくるのは十数年の時間を要するので、アメリカや欧米を見習って移民を入れましょう
    (a) 高度人材の積極受け入れ (高度人材は世界中で取り合いになっているので確かにこれは必要です)
    (b) 留学生の受け入れ=高度人材の青田刈り
    (c) 一定の資格・技能を持つ外国人材の受け入れ。単純労働者については他国で発生した様々な問題を勘案し、今後議論を深めていく必要あり。
    ③受け入れた外国人材の定着の推進
    (a) 地域・政府・企業における積極的対応の必要性。以下長いが引用する。

    そこで、生活者としての外国人を支援するとともに、こうした問題に伴う否 定的なイメージを払拭するために、民間企業、自治体、国際交流協会、NPO 等が連携して、外国人のための住宅の確保をはじめ、外国人向けの情報提供の 充実や生活相談、また外国人自身やその子供に対する日本語教育の強化等、地 域における受入れ体制の整備をさらに進めていくことが求められる。また、受 け入れた外国人が安心して生活・就労できるようにするために、医療、年金等 の社会保障制度を改善し、セーフティネットを適用することをはじめ、政府・ 自治体による積極的・包括的な支援措置が不可欠である。
    また、就職先となる企業においても、外国人が働きがいを感じうる仕事と適 切な処遇を提供できるよう就労環境を整備していくとともに、社内においても 外国人材の受入れに対する意識改革等を進めていくことが重要となる。
    その上で、受け入れた外国人材のなかで、日本社会への定住を希望する者に対しては、教育、雇用、社会福祉等といった社会統合政策を通じて、わが国の 文化や社会への理解を深め、日本語能力の向上を図った上で、永住権の積極的 な付与など、法的地位を安定化していくことが求められよう。同時に、在留・就労管理を徹底することによって、適法に在留している外国 人に対しては、各種行政サービスの向上を図りつつ、不法滞在者等に対しては、日本国民にある外国人受入れに対する治安面等での懸念を払拭するために断固 たる対応をとることも必要となる。

    (b) 中長期的な外国人材の受け入れ規模
    これも引用。

    中長期的な外国人の受入れ数について、いくつかの試算が出されている。仮に、現在の総人口の規模や生産年齢人口数を維持しようとすれば、相当規模の 外国人の流入が必要になる。国連の試算10では、2050 年時点で総人口のピーク 時(2005 年)の水準を維持するために必要な外国人流入数は、累計で 1,714 万 人(年平均 38 万人程度)と推計されている。また、経済産業省の試算11でみて も、生産年齢人口のピーク(1995 年)を維持するためには、単純計算で 2030 年までに約 1,800 万人(年平均 50 万人程度)もの外国人を受け入れる必要が 生じるとしている。

    さてツッコミどころ満載だが、順番に片付けていく。
    (1) 成長力の強化

    持続的な経済成長は、所得の増加や雇用の創出を通じて、人々に豊かな暮らしをもたらす基盤となる。

    ここ笑うところ? 賃下げ派遣切りで思い切り社会不安を作り出した元凶が何をふざけたことを。

    ①研究開発活動の促進

    今後、わが国の研究開発投資を拡大していくためには、企業の研究開発投資 に焦点を当てた政策税制の充実が最も有効である。

    また企業減税かよ。何のために内部留保を400兆もためこんでるの? まさしく研究開発に投資するためでしょうが。一社でまかなえねえんだったら複数社で共同開発すればいいだろ。どこまで税金を搾り取るつもりなんだよ。

    ②イノベーションを担う人材の育成と招聘

    とくにアジアの優秀な学生をひきつけ、高度人材の育成力を高めていくことが急務である。

    なんでアジアなんだよ? アジアのどこだよ? 阿保かこれが中国人を意味していることは馬鹿でもわかるわ。アフリカや中東はどうした。世界中で取り合いなんだから出身国の選り好みをしてる場合か。

    ③世界の成長力の取り込み
    EPA/FTAを締結して欲しいんだろ。その方が商売スムーズにいくし、原材料や中間製品の輸出入も安くなるし。取り繕ってんじゃないよ。

    ④地域の活性化と道州制
    そりゃ国家を相手にするより道州に分割した単位に陳情した方が効果は高いわな。いざとなったらよそへ移す! と脅しをかければいいんだから。国外へはおいそれと出て行けなくても道州間なら簡単だしな。

    (2) 未来世代の育成
    ①少子化対策への真剣な取り組み
    何ひとごとみたいに「要請」してんだよ。てめえらの生産性を上げるためだろ。まず身銭を切れよ。社内保育、在宅勤務、フレックス勤務を正しい形で導入したらどうだ。それと労働時間は一日八時間だ。なんでも行政にたかるんじゃねえ。

    ②教育の再生

    また、子供一人当たりの教育費の増加などの経済的な理由から、はじめから 子供を持つことをあきらめてしまったり、本来望んでいる数の子供を持てない といった声も多く聞かれる。

    給与が安いからですよ。特にお金がかかるのは高校、大学ですが、授業料などの値上げは天井知らずです。意図的に話をそらせて行政に責任をかぶせていますね

    (3) 経済社会システムの維持に必要な人材の活用・確保
    ①女性の社会進出の促進
    これ昔から言われてるけど、コストがかかるからちっとも実現しませんね。企業自身やる気ないもの。自分たちがまず改革を進めたらいかが。

    ②国際的な人材獲得競争と日本型移民政策の検討
    (a) 高度人材の積極受け入れ
    これは確かに必要です。で、企業として何をどうするわけ? 自分が欲しがってる人材なんだから、まず自分たちがどのような改革を行ったかを示すべきでしょう

    (b) 留学生の受け入れ
    今度は大学、大学院頼みかよ。日本の学生は大学の教育と企業が欲しい人材のミスマッチが起きているから採用できないとか散々批判しておいてこれですか。企業としての施策を示したらどうなんだ。

    (c) 一定の資格・技能を持つ外国人材の受け入れ。
    日本人より安い給与で働くと思ってるんだ。まあ働かせるんだろうけど、その結果何が起きるかリスクをまったく想定していないのは論評に値しない

    ③受け入れた外国人材の定着の推進
    (a) 地域・政府・企業における積極的対応の必要性。
    さりげなく、最もコストのかかる医療費や年金等の社会保障費やセーフティネットについて行政丸投げってどういうことだ。企業が欲しい人材なんだろ。企業が自分で面倒を見ろ。

    (b) 中長期的な外国人材の受け入れ規模
    国連や経産省の統計資料という形で客観性を装って、移民大量受け入れを認めさせる狡猾な手口。「②国際的な人材獲得競争と日本型移民政策の検討」の「(c) 一定の資格・技能を持つ外国人材の受け入れ。」で単純労働者の受け入れに含みを持たせているのはここに繋がる。「なんせ人がいませんから。やむをえませんなあ」とする伏線に過ぎない。ここでもそんなに大量の移民を受け入れてしまった場合の社会コストの負担について何も言及しない。

    そう提言全般についてコストのかかるところは行政まかせ、丸投げで負担を逃れようとし、上澄みのおいしいところだけをもらっていこうというのが経団連の提言なのです。そしてそのコストを負担するのは結局我々国民です。経団連は手始めに「消費税を福祉目的税として税率を10%に引き上げるよう」求めていますが、これは企業の社会福祉負担を軽減するための最初の攻撃です。ご存じのように健保や年金等は会社と従業員が折半して支払っています。その会社折半分を消費税ということで置き換えて貰いたいのです。400兆溜め込んでてまだ溜め込むつもりです。呆れてものもいえません。今や経団連は財界を代表して政府、自治体にたかれるだけたかろうとしているのです。我々はそんな企業の身勝手を許してはなりません。

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  • 企業の内部留保はどこから来たのか

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    いささか旧聞に属するが、経済101 の「内部留保再び」について素朴な疑問があるので。

    財務省の統計によると、国内企業の内部留保が400兆円を越えたそうだ。資本金10億円以上の大企業に限っても200兆円あるという。例によってそれを取り崩して雇用に回せ云々という議員がいたようだが、それは置いておく。

    財務省・財務総合研究所の「法人企業統計調査」における内部留保とは、資本金+資本剰余金+利益剰余金+自己株式+αのことである。資本剰余金とは資本取引(増資など)で得たお金のうち、資本金に組み入れなかったお金のことである。この資本剰余金は、平成11年度では約48兆円だったものが、平成20年度には100兆円を越えており、内部留保の増大に一役買っている。また、利益剰余金とは、純利益から配当金や役員賞与金などの社外流出分を差し引いた金額であり、貸借対照表では貸方の「資本の部」(日本では「純資産の部」)に勘定科目として表示される。平成11年度は約157兆円だった利益剰余金が平成20年度には約280兆円になっており、これが内部留保の数字を大きく上昇させている。従って、元記事

    詳しくは会計の専門家に任せるとして、ポイントは内部留保が資本=BS(貸借対照表)の右側だということだ。BSの右側は基本的にお金ないし資産がどこから入ってきたかをメモっておく場所であって、企業がお金持ち(=資産が多い)であることを示すわけでもお金儲け(=利益が多い)をしていることを示すわけでもない。

    は厳密には誤りである。純資産が対照表の右側にあるのは、資産ー負債=純資産という関係上そうなっているに過ぎない。つまり、企業には儲けたお金や調達しておきながら余ったお金が累積して今では国内企業全体で400兆円近くもあるということなのである。もちろん、これを持ってして企業がお金持ちだとか利益率が高いといった類の議論はできない。元記事にもあるように貯金がたくさんあるからと言って、収入が多いとは限らないのである。また、現金でそのまま持っているわけでもない。何かに投資したり、有価証券を購入したりしているところがほとんどだろう。お金をただ寝かせておくだけというのは企業の行動として愚の骨頂だからだ。

    しかし、である。リーマンショックで業績を下方修正しなくてはならないとなった時、慌てて派遣切りを行い、内定を取り消して学生を路頭に迷わせ、希望退職を募り、ワーキングプアが社会問題化するほど賃金を切り下げる…ことが必要だったほど財務が悪化していたとはとても思えない数字である。もちろん、資金繰りができなくてやむを得ずといった企業も少なからずあったであろう。それでもそういう企業はほとんどが零細企業であり、日本全体がそうであるわけではない。であるにも関わらず企業は人を積極的に雇おうとせず、しかも少ない人数で仕事をこなすために恒常的に長時間労働が行われているという実態がある。これを裏付ける資料も財務省が出している。法人企業統計調査では、平成11年度から平成20年度にかけて人件費はほとんど変わっていないが、内閣府の出している国民経済計算では名目雇用者報酬はむしろ減っている。これでは利益に応じた投資を雇用に対して行っていないと言われても仕方がないであろう。

    なぜ雇用しないのか。利益がありながらなぜ労働者に分配しないのか。この問いに対して元記事では回答していない。私は小泉内閣の経済改革を決して評価しないわけではないのだが、この結果を見ると雇用政策においては明らかに失敗であったと言わざるをえない。雇用の流動性も確保できず、正社員や公務員は御身安泰で勝ち組、負け組などとうつつを抜かして問題を先送りどころか悪化しているのを黙認するような現状をどう思っているのだろうか。おいしいところだけを持って行こうとする企業に、法人税も減税されたんだから、少しは日本の雇用に貢献しろよと言うことはそんなに無理な話なのだろうか。私にはとてもそう思えない。

    参考1: 財務省・財務総合研究所「財政金融統計月報第689号」
    参考2: 内閣府「平成21年度年次経済財政報告・国民経済計算」

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  • 金のためなら国を売る企業人

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    アゴラに「なぜ領土紛争は国民を熱くするか」「もともと我々の領土という愚」という記事が掲載されています。執筆者は石水智尚さんと仰る中国でビジネスを展開している企業の経営者です。それぞれの記事について詳しい内容は実際に読んで頂くとして、ここではこの記事の問題点を取り上げたいと思います。

    氏は「もともと我々の領土という愚」で「北方領土も尖閣諸島も経済的メリットを優先して国民を説得しろ」と主張しています。端的に言うと「争っても金にならないのだからくれてやれ」ということです。ただし最後に尖閣諸島を最初に発見したのは中国だと付け足すことを忘れていません。暗に「もともとは中国の領土」だと言ってるわけです。だからタイトルも「もともと我々の領土という愚」なわけですね。

    それはともかく、確かに尖閣諸島は無人島群ですし、周辺の海域にあるという海底資源もその価値は未知数です。否定的な議論もあります。ならあげればいいじゃないかと単純に思う人がいても不思議はありません。しかし、ことはそう単純ではありません。それは前回のエントリで書いた通りです。まるで台湾とは尖閣諸島で問題が起きていないかのようにスルーするのは中国一辺倒の企業人によくある精神的盲目というやつです。自分に都合の良いことしか目に入らないその利益至上主義が、戦前の中国進出、満州国建国、日中戦争へと至る流れを作り出したという反省が微塵もありません。この手の人間が我が身やその利権に危機が迫ると戦争を声高に主張したのだということを我々は忘れてはなりません。

    そして、もちろんそんな粗雑な議論(というより暴論ですが)に対して反論が相次いだわけです。のらりくらりと本題をかわし、コメント欄での議論をそらして何とか終息させたものの、腹に据えかねたのか、今度は「なぜ領土紛争は国民を熱くするか」という記事を投稿します。冒頭の言葉がふるってます。

    人間というのは自分の土地に対して強烈な所有欲を有しているようです。多くの人間が集まった国家というのは、更に強烈な領土欲を持っているようです。自分が所有している訳でもない辺境のゴミのような島に対して、なぜ国民は強い執着を持っているのでしょうか。

    ここだけ見れば中国を非難しているように見えますが、元記事を読めばおわかりの通り、これは日本に対する非難です。呆れてものも言えません。強盗が武器を片手に財布をよこせと詰め寄ってくるのに抵抗している被害者にさっさと財布を渡せと強弁しているのです。どうやら中国進出企業の経営者というのは倫理観まで麻痺してしまうようです。確かに日中間でゴタゴタが続けばやりにくくなるのでしょうが、あまりにも自己中心的で同情する気にもなれません。頼みもしないのに、儲かりそうだからと勝手に出て行ったのですから、自分の尻くらい自分で拭く決意があるのかと思いきやとんでもない。泣きつく先が間違っているし、日本人は手痛い教訓を得ているので二度も騙されたりしないということが分かっていません。そんな輩は見捨ててしまえばよいのです。

    元記事に話を戻せば、ここで筆者はたとえ話を持ち出しますが、これまた意味不明です。隣家が自分の土地を勝手に使ってると判明したので土地境界の争いが始まりました。それだけです。現実にこういう事が起きれば登記簿を取り寄せて談判するなり、裁判を起こすなりの行動が続くのですが、何がいいたいのでしょうね。一体、どちらが日本でどちらが中国だといいたいのでしょうね。現状認識もできないなら下手なたとえ話はやめることです。

    このたとえになっていないたとえ話に続けて、

    個々の人間でも、土地に対する執着はなみなみならぬものがあるようです。これが国家となったらどうなるでしょうか。日本は、韓国とは竹島、ロシアとは北方領土、中国とは尖閣諸島で領土問題を抱えています。

    と論じます。外交や国防を土地に対する執着とすりかえる筆者お得意の詭弁です。おまけに政府の公式見解では尖閣諸島に領土問題は存在しないことになっているのですが、そこは頬被りです。どこの国の国民だって領土が削られるとなれば反対します。まるで日本だけが特殊なような書き方ですが、その中国があちこち手を出して紛争や戦争を起こしてきたのも当局の見解は「失われた領土を回復しているだけ」というものであり、まさしく削られた領土を取り戻しているのだと執着を露わにしているではないですか。

    そして結語がまた笑わせてくれます。

    たとえば尖閣諸島の問題では、経済的妥協案に反対する方の意見を、もともと我々の領土という愚のコメント欄で沢山頂きました。それらの多くは、中東に匹敵する油田があるとか、潜水艦基地ができるとか、シーレーンが危ないとか、次は沖縄が取られるとか、誇大妄想的な意見が多かったと感じています。そういう荒唐無稽な意見を真面目に主張する方が多いという事が、領土問題が人間の心理に与える影響の強さを物語っているようです。

    油田はともかくとして、中国が公式に策定している戦略に基づく反論を誇大妄想の一言で切って捨てるその媚中姿勢はいっそ清々しいとすら言えます。自分の不勉強を棚に上げて中国礼賛に終始する姿は、かつて満州を新天地と礼賛した戦前の経済人の姿そのものです。詳しくはそのコメント欄を読んで頂ければ理解されると思いますが、それぞれの反論は荒唐無稽でも何でもありません。今まで中国がしてきたことを単に敷衍しただけの反論に対して筆者が的確に応酬できないでいるだけのことです。痛いところを突かれれば議論をそらし、あるいは問題の矮小化を試み、立場のすり替えを行い、それもできなければ反論などなかったかのように無視するという態度にコメントをつけた方々は明らかに苛立っています。私は人間、欲が絡めばこうも愚かになるのかと拝読しておりましたが、筆者はその自己中心的なものの見方や媚中姿勢を変えるつもりはないようです。

    領土問題に国民感情が絡まないということはありません。国家とは領土とそこに住まう人々なしでは成立しません。その意味で領土が取られるということは、ダイレクトに感情へ訴えるものがあることは事実です。しかし、尖閣諸島の問題は、現実に反日政策を取り、現実に軍事的実力を持ち、現実に領土的野心がある国家、中華人民共和国が相手であるからこそ国民的関心事になっているわけです。帰属が不確かな絶海の孤島の取り合いなどではないのです。それを誇大妄想だの荒唐無稽だのと言って揶揄し、問題を矮小化して自説を押し通そうとする無理が、筆者の議論を底の浅い、いかにも商売人の小理屈にしてしまっています。このような商売人のポジショントークにわれわれは騙されないようにしなくてはなりません。さもないと、詐欺の片棒どころか、戦前のように亡国の片棒を担がされかねません

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  • 尖閣諸島問題とは何なのか

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    尖閣諸島は1885年から1895年まで日本政府が領有状況を調査した後、いずれの国にも属していないことを確かめた上で領有を閣議決定しています。実際に日本人が居住していた時期もあり、1940年から無人島となりましたが、日本が実効支配を行ってきました。終戦直後の1945年に台湾は中華民国台湾省となっていますが、尖閣諸島は台湾に含まれていませんでした。つまり、元々日本以外の国は領有権を主張していなかったのです。

    しかし、1968年、東シナ海の大陸棚の海洋調査で豊富な石油が埋蔵されている可能性が指摘されるやいなや状況は一変しました。1971年6月に台湾、同年12月に中国が相次いで領有権を主張し始め、以降、陰に陽にその主張を繰り返し、時には実力行使までしています。国際裁判所での判例上では、こういう後出しの主張は、「禁反言」に触れる可能性が高いという指摘があるにも関わらずです。

    さて、もうおわかりでしょうが、最初は資源の奪い合いで始まった問題なのです。問題のないところに問題を作り出したのは中国、台湾であって、日本ではありません。それまで尖閣諸島が日本の領土であることは、アメリカ、中国、台湾の一致して認めるところだったのです。それを70年以上経ってから因縁を付けてくるのですから、その外交に信義則だの国際法尊重など微塵もありません。

    台湾では、1971年にアメリカに留学中だった台湾人学生の間から中国固有の領土である釣魚台列島(尖閣諸島)を守れ」という主張に沿った「保釣運動」が始まり、1996年以降は日本の領海を侵犯するなど活発な動きを見せています。
    また、中国も頻繁にこの海域を調査していることは、周知の事実です。ただし、台湾当局は、2008年秋に尖閣諸島の主権問題の棚上げ・周辺海域の共同資源開発を提案し、漁業権交渉を優先させる方針を明らかにしていますので、態度を軟化させてきているとは言えます。とはいえ、台湾当局は、2004年1月に魚釣島を土地登記しており、それを撤回していませんから油断はできません。

    さて、ここで一枚の地図をご覧頂きたい。Wikipedia の第一列島線の項目に記載されている地図です。First Island Chainと注釈のある赤い線が第一列島線です。何の線かといいますと、中国が台湾有事にアメリカの行動を抑制するために引かれた戦略的防衛ラインです。九州南端部から沖縄列島を経て台湾、フィリピン、ボルネオ島に至ります。国家軍事委員会が打ち出した戦略であり、中国が南シナ海・東シナ海・日本海を封鎖するために中国海軍が進出する公式の目標ラインです。ここで重要なのは、台湾はもとより、尖閣諸島、沖縄列島がこの第一列島線の内側にあるということです。言葉を換えて言えば、この線から内側で中国は自由に軍事行動を起こすことを望んでいると言うことです。他国の領土だろうがおかまいなしにそういう戦略・計画を立案、実行しようとするところに大きな問題があります。しかし、その重要なラインに日本領および日本領海があれば、当然軍事行動など行えませんから、それを何とかしなくてはなりません。そして、尖閣諸島、沖縄列島がそこに含まれているということに注意して下さい。

    台湾は、海底や海洋の資源が目的なので妥協の余地があります。しかし中国はそれに加えて軍事的戦略に従って行動しているため、決して妥協することはありません。現に中国は、1992年に、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定した「領海法」を施行しています。西沙諸島は、元々ベトナムと中国が分割支配していたのですが、1974年に中国がベトナム側を侵略してベトナム軍を排除、以降全体を実効支配しています。南沙諸島は、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、台湾、中国が領有権を主張しており、そのうち、台湾、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシアが現在、島を実効支配していいます。尖閣諸島に至っては日本の領土です。にも関わらず国内法で中国領と定めたのです。さらに、1997年には、国防の範囲に海洋権益の維持を明記した「国防法」を施行、さらに現在、国家海洋局が中心となって、島嶼の管理を強化する「海島法」の立法作業を進めています。第一列島線の完成に向けて着々と手を打っているのです。一方で1998年6月に「中華人民共和国専管経済区および大陸棚法」という法律を制定し、排他的経済海域 (EEZ) を中国領から続く大陸棚の終端までに拡張し、東シナ海の資源を独り占めしようとしています。そもそも日本は大陸からの大陸棚の上に存在しているので、これがいいがかりに近い暴論であることは誰にでもわかることです。
    先だっての尖閣ビデオ流出で話題になった海上保安庁による取り締まりの際、中国は100隻単位の漁船で違法操業を行っていました。国からの「領海法」「国防法」というお墨付きがあるからです。また、中国にとって自国領土と見なしている島嶼付近の海域で起きた事件だからこそ、菅・仙石が縮み上がるくらい強硬な姿勢で’船長の即時釈放を求めたのです。韓国海上警察が中国漁船を強硬に取り締まったのを見て、それに比べて我が国は…と思った人も多いでしょうが、日常的に発生している単なる犯罪と尖閣諸島で起きた事件は次元の異なる問題をはらんでいることに気をつけなくてはなりません。だからと言って唯々諾々と釈放するなどは論外きわまりない失態なのですが。

    平時、国際法で軍艦が自由に行動できるのは、自国の領海か、公海上となっています。もちろん戦争になれば別です。しかし、中国はそれまでに第一列島線で囲まれた海域で軍事行動を自由に起こせるようにしたいと考えています。だからこそ、無人島群であり、台湾の目と鼻の先にある尖閣諸島に拘っているのです。また、中国政府や共産党に近い学者が「沖縄の帰属は確定していない」とか「沖縄は中国領」とする論文を発表しています。学校では「沖縄は中国領」と教えているそうです。もちろん沖縄を手中に収めたいという共産党の意向がなければこんな事態は起きえません。
    そして、日本にとって、第一列島線を押さえられてしまうことは、石油が入ってこなくなるということです。石油だけではありません。東南アジア、インドからの物流を押さえられてしまうことになります。そうなれば、中国の要求を呑まざるをえません。そして、中国がどんな要求を出してくるかは、今回の漁船衝突事故と称される体当たり攻撃で明らかです。軍部はもちろん、漁民、貿易商、その他あらゆる層が根こそぎ資源を奪い、そのおこぼれを頂戴して生き延びることになってしまうでしょう。今現在でも石垣島の漁師は台湾、中国の違法操業船に非常な危険を覚えると仰っています。それが常態化するどころではない凄惨な未来が容易に予測できてしまいます。

    では日本はどうすればよいのか。まず早急に自衛隊を整備しなくてはなりません。有事に予算不足で弾がないでは論外です。少し迂遠になりますが、こうした脅威が現実にあることを広く一般に周知し、憲法9条を改正して自衛隊を正式な軍に編成し直すことも必要でしょう (ただし、私は徴兵制反対の立場です)。そのためには、アメリカ、東南アジア各国との緊密な友好/協力関係が不可欠です。特に台湾との関係が重要なのは、今更述べるまでもありません。尖閣諸島付近の漁業権や海底資源の共同開発というカードをうまく使って何としても味方についてもらう必要があります。また、EU諸国の理解を求めることも忘れてはなりません。ロシアにも局外中立を厳正に守ってもらうよう交渉する必要があります。まあ太平洋が一段落ついたら次はロシア国境ですね。と情報をサービスすることも忘れてはなりません。まさしく外交の独擅場です。今の民主党ではこういう際どい外交を行う能力が全くありませんから、政権の交代と旧社会党勢力、媚中勢力は政治の舞台そのものから退場して頂かなくてはなりません。また、自民党と言えども親中派と媚中派を厳しく選別して頂き、中国にご注進に及ぶような不逞の輩を排除しなくてはなりません。もちろん、親中派の方々は中国との交渉に不可欠ですから、国賊と呼ばれたくなかったら死ぬ気で働いてもらいましょう。ここまでが準備です。

    その上で、もし中国が実際に尖閣諸島に進出してきたら、必要な外交手順を踏むのは当然ですが、友好国と同盟を結び、軍事的に反撃…すなわち、開戦するのかと恫喝をかけます。ただし、中国軍部の動きに細心の注意を払った上でです。末端が暴発しても「不幸な出来事」で納めることができるよう、軍部の動きを牽制する必要があります。軍部が独走しないと見極めが付いたら、中国がそれ以上強硬に出てくることはありません。今でも強引に経済活性化政策を行って国内をなんとかまとめている状態なのに、周り全部を敵にして戦争など始めて経済が止まってしまったら、あの国は瓦解します。

    ここまでできれば、上出来です。ただし、中国が引くためにはその面子を考慮しなくてはなりません。漁業権の調整、海底資源の共同開発はいわずもがなで、そんなものは手土産になりません。私は沖縄からの一部米軍の本州移転が案外使えるのではないかと考えているのですが、どうでしょうか。元々ロシアとの緊張緩和を果たし、台湾問題とその背後にいる米軍の存在が脅威と見なされたがゆえの第一列島線ですから、妥協の内容としてはそれほど外しているとは思えないのですが。

    幸い、中国の軍備整備計画は遅れているらしく、本来、2010年に軍備の更新が完了するはずが、2015年までにずれこみそうだという情報があります。今すぐ対応を始めれば何とか間に合う時間です。すぐさま、行動を開始しましょう!

    もちろんこれが私の妄想ですめば万々歳です。関係諸国との関係維持だってそう簡単にはいかないでしょう。ですが、手をこまねいていたら中国の計画通りことが運ぶだけです。

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  • 反論『「就職する」ということがどういうことか知ってほしい 』

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    アゴラに掲載された『「就職する」ということがどういうことか知ってほしい 』という記事に対する簡単な反論。

    BLOGSに掲載された橘玲氏の「牛丼と革命―未来世界のマックジョブ」を読んで、企業が正直に自分たちが欲しい人材を追求したときにこのような形に行き着くのだろうなと思った。

    社畜云々の議論はここでは置いておく。リンク先を読めばおわかり頂けるだろうが、すき屋のゼンショーグループが徹底したマニュアル化と社員管理で生産性を上げているという話だ。その中でもここに注目して欲しい。

    軍隊では、命令に従って敵兵や民間人を殺害したとしても、兵士個人の責任は問われない。同様にマックジョブでは、規則やルールに従っているかぎり、社員やクルーはいっさいの責任から解放されている。規定の時間内に決められた動作ができさえすれば人格は評価に関係ないのだから、人間関係で悩むこともない。マックジョブは、外国人労働者だけでなく、障害者や性的なマイノリティなど、差別の対象とされるひとたちも平等に扱うことができるのだ。

    そう。ここで社員/クルーに求められているとしているのは、組織に忠実であること、規則やルールに従い規定の業務を遂行することであり、それ以上でもそれ以下でもない(実態がそうなのかどうかは別にして)。私などいかにも全共闘世代の考えそうな企業運営だと思ったが、この記事を読んだ限りではそれは経営者のポリシーであり、部外者が口を差し挟むようなことでもない。ところが、松岡氏はこの記事を紹介した後、こう続ける。

    逆を言えば企業が最も欲しくない人材は「優秀で会社への忠誠心が低い人材」ということになる。いくら優秀でも辞められたら元も子もないので、採用する側にとって会社への忠誠心というのは非常に重要な要素である。

    じゃあ「優秀じゃないけど忠誠心も低い人材」ならいいのかといった揚げ足取りはしない。「優秀で会社への忠誠心が高い人材」を企業は欲しているというだけなら当たり前のことだ。世界中の企業が求めている。政府だって求めている。だからこそ、

    このようなことを知らずに就職活動を営んでいる学生が非常に多いように思う。就職活動自体に気を取られ、そのあとのことなど考えていない。今年の大卒の就職内定率は57.6%(文科省・厚労省調査)ということなので、ただ「職に就く」ということだけでも大変なことだとは理解出来る。だが、このような時代だからこそ、今一度「自分が何をしたいのか?」ぐらいは考えたほうがいいのでは思う。

    ここで「自分が何をしたいのか?」などと自分探しをさせるような意見に首をかしげる。確かにやりたくもない仕事に就けば忠誠心を高めようがないというのも頷けない話ではない。だが、仮にそんなこと—自分が何をしたいか—を一生懸命考えて答えを得たとしても、それは組織への忠誠に全く関係しない。せいぜい就職先の選り好みが明確になるくらいだ。なぜか。
    学生は就職説明会や面接などで担当者から企業についてある程度話を聞くことができる。就職サイトなどで情報を集めることができる。しかし、それは組織の外面をなでるだけの行為であり、彼が本当に知りたいこと、自分はこの会社でやっていけるか、この会社は自分を評価してくれるか、はわからないのである。選考に落ちるか、入社するかするまでは。

    一般的によく知られている大企業に勤めること自体が、自分の自己実現と捉えている学生も多いだろう。特に有名大学出身者にはそのような傾向が強い。そして、念願の大企業に運良く就職出来ても、彼らはそれが自らが夢見ていた職場環境ではないことにがっかりしてあっさり辞めていく。

    と筆者は言うが、私が学生だった時代から、自己実現を求めて就職する学生などいない。本気でそれを求める学生は起業するなり芸術に邁進するなり、いずれにせよ我が道を行く。ただ、数多ある面接マニュアルで入社して何をしたいか聞かれたら、中身のない人間だと思われないようにそう答えろと書いてあるからそう言ってるだけだ。それをちゃっかりしてるととるか、情けないととるかは人それぞれである。だが、就業経験といってもせいぜい末端のアルバイトであり、仕事と言われてもそれしか想像しようのない学生に、何をしたいと問う方がこの場合は愚かだろう。そういうのは中途採用の人間に聞くものだ。また、入社三年目までに辞めていく人間は「自らが夢見ていた職場環境ではないことにがっかりしてあっさり辞めていく」というのはその通りだが、夢見ていた職場環境の意味するところが違う。

    ここで興味深い調査がある。独立行政法人 労働政策研究・研修機構が平成19年に行った若年者の離職理由と職場定着に関する調査である。この第一部 調査結果の概要、第1章 「若年者の職場定着にかかわる調査」(在職者調査)、2.中途採用者の前職の状況 では、

    仕事満足度が低い者ほど、入社後3年 未満で離職した割合(勤続 3 年未満)が高い。

    となっている。確かにこれだけを見ると筆者の述べることも肯けなくはない。しかし、

    前職が「やりたい仕事をやらせてもらえない」状態であったかを尋ねたところ、やりたい仕事をやらせてもらえなかった者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 31.6%、 非正社員で 22.0%だった。

    と続くに至って、あれっと思う。そう仕事内容に不満があって辞めた人間は正社員で3割ほどなのだ。

    前職が「仕事の責任が重すぎる」(以下、「仕事の重責度」と略す。)状態であったかを尋ねたところ、仕事の重責度が高かった者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員 で 39.8%、非正社員で 22.2%だった。

    入社して間もない社員が責任が重すぎると感じるのは少々おかしい。非正社員であればなおさらである。入社して3年など、まだ仕事を覚えるべき段階であり、責任どうこうが問題になる段階ではない。

    規則やルールに従っているかぎり、社員やクルーはいっさいの責任から解放されている。

    とは少し異なる企業実態がそこにはあるような気がする。

    前職が「仕事量が多すぎる」状態であったかを尋ねたところ、仕事量が多すぎたとする者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 53.5%と 2 人に1人が仕事量の過多を感 じていた。非正社員でその割合は 29.5%であり、その内訳は、「パート・アルバイト」で 26.4%、「パート・アルバイトを除く非正社員」で 33.6%となっている。

    若者が軟弱だからとか、若者の甘えというのは理由にならない。若者に問題があるのなら、なぜ一日八時間の仕事が多すぎると思うのかを分析し対応策を練るのが企業経営者(もちろん、教育関係者も)や労務管理担当者の仕事であり、一日八時間以上、つまり残業が定常化しているなら、やはりそれは企業の問題だからである。

    前職が「求められるノルマ・成果が厳しい」状態であったかを尋ねたところ、ノルマ・成果が厳しいとする者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 40.2%と 4 割を占め る。非正社員のその割合は 18.5%であり、その内訳をみると、「パート・アルバイト」は 16.1%で、「パート・アルバイトを除く非正社員」が 21.6%となっている

    くどいようだが、

    規則やルールに従っているかぎり、社員やクルーはいっさいの責任から解放されている。

    随分と実際は異なるようだ。さらに、

    前職が「仕事上のストレスが過大である」状態であったかを尋ねたところ、ストレスが過 大だったとする者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 63.2%と、6 割以上が ストレスの過大を感じていた。非正社員でその割合は 34.4%で、その内訳は、「パート・ アルバイト」で 30.2%、「パート・アルバイトを除く非正社員」で 39.9%となっている。

    という結果に至っては、むしろ企業の方がおかしいのではないかという懸念が増す。

    前職が「労働時間が長すぎる」状態であったかを尋ねたところ、労働時間が長かったとす る者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 54.2%と、2 人に1人が長時間労働 を感じていた。非正社員でその割合は 25.3%であり、その内訳は、「パート・アルバイ ト」で 21.7%、「パート・アルバイトを除く非正社員」で 29.9%だった

    これは労働条件が劣悪だと彼らが思っているということだ。

    前職が「休暇が取りづらい」状態であったかを尋ねたところ、休暇が取りづらかった者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 57.7%と過半数に及んだ。非正社員でそ の割合は 36.1%であり、その内訳をみると、「パート・アルバイト」で 36.7%、「パー ト・アルバイトを除く非正社員」で 35.4%と 3 人に 1 人が休暇を取りづらいと感じていた

    これもそう。

    前職が「賃金が低すぎる」状態であったかを尋ねたところ、低賃金と思っている者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 52.9%、非正社員で 49.5%となっている。非 正社員の内訳をみると、「パート・アルバイト」で 51.8%、「パート・アルバイトを除く 非正社員」で 46.6%となっており、いずれの就業形態も半数は前職の自分の賃金は低すぎ ると感じていたことになる

    なるほど。夢見ていた労働環境とは違ったわけだ。しかしそれは、自己実現がどうのこうのといった抽象的な理由などとは断じて違う。具体的な労働条件に不満があるのであって、若者は絵空事を言っているわけではない。

    前の職場が「人を育てる雰囲気がない」状態であったかを尋ねたところ、人を育てる雰囲 気にないと思っていた者(「そう思う」+「ややそう思う」)は、正社員で 51.5%と、2人 に1人が人材育成に適した環境ではないと感じていた。非正社員ではその割合が 39.2%で、 その内訳をみると、「パート・アルバイト」で 34.2%、「パート・アルバイトを除く非正 社員」で 45.7%となっている

    この結果に至っては、企業の労働環境が劣悪だったことを辞めた理由に挙げる人間が半数もいる。という事実に経営者は注目しなくてはならない。さらに、

    前職の入社当初の配属先の教育等の体制(「教育・指導する担当者(メンター1)」及び「すぐに仕事上の質問ができる上司・先輩」)の有無を尋ねたところ、メンターについては、 正社員で 61.9%、非正社員では 56.0%が「いた」としている。非正社員の内訳をみると、 「パート・アルバイト」で 54.1%、「パート・アルバイトを除く非正社員」で 58.4%とな っており、いずれの就業形態も過半数は入社当初の配属先で、会社が設けた教育・指導担当 者(メンター)がいたことになる(図表 2-43)。
    次に、仕事上の相談ができる上司・先輩の有無についてみると、正社員で 66.6%、非正 社員では 66.8%が「いた」としている。非正社員の内訳をみると、「パート・アルバイ ト」で 66.7%、「パート・アルバイトを除く非正社員」で 67.0%となっている。いずれの 就業形態にかかわらず、3人に2人が、入社当初の配属先で、仕事上の相談ができる上司・ 先輩がいたことになる

    とあるように、一応体制は用意されているところが多いものの、それが実際的に機能していない企業があるという問題点が浮かび上がる。

    前職の職場の人間関係を尋ねたところ、職場の人間関係が良好(「良好だった」+「まあ 良好だった」)は、正社員で 64.1%となっており、非正社員(特にパート・アルバイト。 72.6%)のほうが良好とする割合がわずかながら高くなっている

    逆に言えば、正社員で辞めた人間の3人に1人は人間関係に問題があったと思っているということである。

    次に、前職の勤続年数を職場の人間関係別にみると、正社員で職場の人間関係が良好にな るほど、勤続 3 年未満の割合(「半年未満」+「半年~1 年未満」+「1~3 年未満」)が低 くなる傾向にある。とくに「半年未満」をみると、職場の人間関係が良好ではなかったとす る者(20.8%)のほうが、良好だったとする者(5.5%)よりも 15.3 ポイント高くなっている

    そして、早期に退職する者は人間関係で躓いていた者が多いという結果に至って、問題点がどこにあるか、なぜ若者がせっかく就職した会社を退職するのかの理由がひとつ明らかになってくる。

    では、これの裏返しが、企業の求める「忠誠心の高い人材」なのだろうか。どんな仕事でも不平を抱かず、責任を押し付けられても文句も言わず多くの仕事を黙々とこなし、常態化した残業を厭わず、休みが取れなくても気にせずに安い給料で嬉々として働き、職場の人間関係など気にしない、むしろ問題があれば率先して解決する。馬鹿馬鹿しい。それは経営者や起業家のあり方であって、社員に求めるあり方ではない

    事業拡大や後継のために経営人材を求めるというのであれば、確かにそういう人材でなければ、勤まらないというのはわかる。だがしかし、それはまだ学校も卒業していない人材に求める資質であろうか。とんでもない。それなら最初から経営者を募集すればいいのである。できるはずもないことを若者に押し付け、不景気をいいことにあまりにも都合のいいことを吹聴して恥じない経営者が多いことに吐き気すらする。バブル以降の就職難だって本当は作られたものであることは、過去の統計と比較すればよくわかる。昭和の世界大恐慌の折りですら、今ほどの就職難ではなかったのだ。(少年犯罪データベースドアの「就職は大恐慌時より今の方が厳しいのです」という記事を参照して頂きたい)バブル期の超売り手市場に振り回された経験があることを加味しても今の就職市場/労働市場は異常である。

    となれば、元記事の内容がいかに企業経営者にだけ都合のよい欺瞞に満ちた、もしくは無知に基づく内容であるかわかるであろう。

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  • 反論【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ

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    少し前ツイッターでもつぶやいたのだが、論点を整理してまとめてみた。
    これは、佐藤優氏の【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ に対する反論である。

    規律の遵守など遵法意識を強調するなら、末端以上に上層部にこそそれが求められます。内閣が責任を放棄したから、この事件が起きたのであって、このような異常事態に陥ることのなかった戦後から現在までそんな事例はスパイ事件を除いて大きく問題になったことはなかったではありませんか。国民からすれば、内閣の打った手は裏切りであり、責任を那覇地検に押し付けたのは責任回避、職務怠慢以外の何者でもありません。公務員法第82条第2項では「職務上位の義務に違反し、または怠った者」「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」に対して懲戒処分を下すことになっています。内閣閣僚は特別職ですからこの規定が適用されることはありませんが、当然上が行き当たりばったりの遣りたい放題なら、下もそれに倣います。内閣閣僚や国会議員が免除されているのは、明治の頃からの慣例か、妙な制約を課すことで充分な議論が重ねられないまま重要な法案が採決されてしまうのを防ぐためか、いずれにせよ、政治家、内閣の自浄能力を前提とした信頼がそこにあるはずです。
    しかし、以後の経緯を見てもことごとく政治判断を避け、現場に丸投げ状態が続くのを見て、国民が何を思うかおわかりでしょうか。

    件の保安官について「一私人の立場として行動すべきだと思う。」と仰ってますが、退職したって守秘義務違反の疑いをかけられるのは変わらないわけで、元海保職員が暴露!などとマスコミがこぞってはやし立てるでしょうから組織防衛上も、もちろん件の保安官にしても状況は悪化するだけで何の解決にもなりません。現役だから問題なのだという論調は問題のすり替えです。

    それに、五一五事件、二二六事件を引き合いに出すのなら、当然その社会的背景も考慮に入れなくてはなりません。世界大恐慌が始まっているのに金解禁を行うなど、経済政策は迷走し、じゃあそれを責任をもって収拾にあたる努力がなされ結果が出たかというととんでもない。無責任な政治に国民は振り回され、疲弊している一方で、大企業は為替を利用して空前の利益を上げるという状態にあった中で、あの事件は起きたのです。
    はてさて今の状況と似てますね。今回、海保が首相官邸を襲って菅を射殺しましたか? 習志野の空挺団が閣僚を殺害して回ったあげく、陣を構えましたか? そうならないうちにを芽潰すべきだと仰るなら、まず民主党に大なたを振るべきでしょう。国民に様々な公約を訴え政権担当能力があるとマスコミを総動員してアピールして政権を取っておいてこのていたらく、実は詐欺でしたでは、反抗も起ころうというものです。
    政治が無軌道だからそれに乗じて実力で自分の主張を通そうとする人間が出てくるのであって、逆ではないのですよ。そこを正さずして末端職員をバッシングするから国民に背を向けられるのです。

    それにしても、何が秘密か判断できない幼稚な政治能力でことを運ぼうとするからあちこちぼろが出るのであって、そもそも中国漁船の船長逮捕を秘密にしなかった時点で、私は現内閣に政治判断などできないのだと見切りをつけました。もちろん中国は抗議してきたでしょう。うちうちに。そこからは外交です。丁々発止とやればいいんです。必要ならこっそり釈放して返したってよかったんです。中国側の譲歩を引き出した後で。いや、中国のことですから高々と公表したかも知れません。なら証拠のビデオを公開して輿論に訴えて是非を問えば良かったんです。もちろん中国は強硬姿勢を崩さないでしょうが、そこから譲歩を引き出すのが外交です。では今回は? 外交成果はマイナスです。対中外交に深く傷を残しました。

    で、末端の職員のビデオ流出が何ですって? そもそも秘密を構成する要件の整っていない情報を流してどういうお咎めを受けなければならないのでしょう。せいせい内規違反で厳重注意が関の山でしょう。守秘義務違反だと気色ばんでいるのは仙石だけで、警察も検察も立件できるわけないことなど先刻承知です。ですが、官邸から圧力がかかってるのでほいほい釈放もできません。気の毒ですね。

    それに公益通報者保護法のことをお忘れのようですが、国を上げて不正や問題があれば通報しろと法律をさだめておいて、自分たちに都合の悪い情報が出ると犯罪者呼ばわりとは何を考えているのでしょう。件のビデオの内容が公益に資する内容であったことは、中国がトーンダウンしたことからも明らかです。私などむしろこの件で内閣は外患誘致を企図しているあるいは黙認しようとしていると、刑事告発するものが出なかった方が不思議ですが。刑事訴訟法には公務員の告発義務が明記されてるのに。

    話は変わりますが、尖閣は政府の面子がかかってるから何が何でも追い込んでやると随分官房長官はいきごんで特別チームまで派遣しましたが、そんなものより遙かに国益に直結した公安情報流出問題については、通り一遍の言葉を表明しただけで、特別チームを組んで徹底的にやるとか、責任者を罷免するとかそういう話はちっとも出てきませんね。尖閣ビデオなど比較にならないほどのまさに国家機密が漏洩したというのに。こういうダブルスタンダードがある限り、谷垣が世迷い言を言おうが、仙石が強弁しようが、世間は信用しません。

    それに下克上が成功して国家が崩壊するのは、治世者に問題があって支持を得られないからです。考えるべきは問題の根を絶つことであって、ありもしないクーデターにおびえてヒステリックに個人攻撃をすることじゃないです。第一、あれほど国民の知る権利を連呼していた連中が、都合が悪くなると臆面もなく隠蔽をはかるという恥知らずな行動に出たことを不問に付すのは、自らの言論に対する裏切りであり、自らも政治に対する不誠実を抱えていると大声で叫んでいるようなものですよ。

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