• 婚姻制度の歴史を考える – ①婚姻の始まり

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    人類の始原における婚姻制が何であったかは歴史の遙か彼方のことでもあり、今でも判然としない。しかし血縁による集団を構築していたことはどうやら間違いのないことらしいので、これを出発点として、原始の婚姻制を考えてみたい。

    当たり前のことだが、始原において、婚姻とは性交であった。これが何らの制約がない状態に集団が置かれると、乱婚に陥ることは現代日本を見ても明らかである。結婚するまでは処女でなくてはならず、結婚したら女の浮気は絶対にダメであり、すれば罪に問われる。のが、一夫一婦制度というものである。婚前交渉が花盛りで、不倫乱交が大手を振ってまかり通っている日本の現状を指すものではないことは明々白々としか言いようがない。それはともかく、人類の始原ではどうだったのか。

    人類が誕生したのは、今から500万年前とも600万年前とも言われている。もちろん火は使えず、道具もなく、あるいはあったとしても石を搔いただけの粗末なものでしかなく、サルのように樹上で生活することもできず、肉食獣に狙われ続ける生活である。草食動物のように肉食獣の追跡を振り切る力もない原始のヒトは非常に脆弱な存在であったと言えよう。今でもヒトは恐怖に襲われると体が硬直し身動きできなくなるが、これはパニックに弱い存在を肉食獣にまず食わせることで他の仲間が逃げ切る時間を稼ぎ出す本能的な仕組みではなかろうか。それはともかく、この脆弱なヒトは、外敵を避け、食料を求め、災害から避難するためにどのような手を打ったのか。

    ナポレオンは「リーダー即ち組織なり」と喝破したといい、日本では「上司の命令には服従するのが当然」とする風がある。何のことはない洋の東西を問わず、リーダーの指示に唯々諾々と従うのは人間の本性なのだ。さもないと集団を組織できない以上当然とも言える。とすると先の難問も当然リーダーに丸投げされたことが容易に予想される。難しいことは上の考えること、下はその判断に従うのみ。投げる方も必死だろうが、投げられた方はもっと必死である。どちらへ行けば外敵に出会わずに済むか、そんなのリーダーだってわからないだろう。どこへ行けば食料が手に入るのか。むしろリーダーが聞きたいだろう。巨大な災害に遭遇したときどう行動すればよいのか。パニックに陥らなければ合格点じゃないだろうか。つまるところ不可能課題をリーダーは常に背負い、それを解決してメンバーに指示を出すことが求められていたのである。

    リーダーは懊悩したであろう。そしてかつてそうであったように先代のリーダー、つまりオヤに尋ねたであろう。もちろん既に死んでしまって今は目に見えないことなど百も承知である。それでも問わずにはいられなかったと考えられる状況である。現代の社長連中も占いや手相見に凝る人が少なくないそうだ。ましてや極限状況である。その目に見えない死んでしまった、だけど生きていたときは全面的に頼りにしていたオヤと意思を通じ道を示してくれることを期待して「言葉」が産み出されたと私は考える。決して仲間と対話するためではない。仲間なら目の前にいて産まれた時から一緒なのだから何を考えているか表情やしぐさで見当もつく。目に見えない相手だからこそ「言葉」が必要なのである。(同時に宗教も発生する。どんな民族も、今はアニミズムを取っている民族であっても、その源流を辿れば祖霊崇拝へ至る。それは集団が生き延びるために必要だったのだ。)

    あるいは占いという方法で、オヤが判断を示してくれることを期待し、あるいは、夜空を見上げてはオヤの姿やその指し示すみしるしを探し、あらゆる方法を試して集団が向かうべき方向、外敵が少なく、食料が手に入る方向を目指したのであろう。そのプレッシャーたるや並ではない。原始的と言われる宗教におけるシャーマンの踊りは、一面、狂乱と言って良いほどの激しさを持つものが多いが、始原のヒト集団におけるリーダーも狂乱に近い状態で答えを見いだしていたことは想像に難くない。それほどのプレッシャーである。となると、集団としては、リーダーがリーダーとして使い物にならなくなるのを避けるため、その重圧をある程度解放してやる必要が出てくる。ヒトの二大本能欲は、食欲と性欲である(あるいは睡眠欲を加えて三大欲求と言ったりもする)。食欲を満たすことはメンバー全員に等しくあらねば集団が滅亡する。すると必然的に、性欲を満たすことで重圧の解放としたことは疑いない。ヒトは常時発情し、また性欲が非常に強いことはよく知られた事実であるが、その淵源は不可能課題を克服する重圧の解放にあったと言える。それがリーダー固有の問題であるからこそ、性はリーダーにのみ解放されたと見なすのが自然であろう。

    つまり、始原ヒトは族長婚(あるいはリーダーがすべての女を性の対象にするので集中婚とも言える)だったのである。むろん性欲が強化されたのはリーダーだけではない。すべての男は次のリーダーになる可能性を秘めているので、同様に強化されたであろうし、女はリーダーを(あるいは他の男でも)挑発し、性欲を発散させるために、自らの性欲を強化したであろう。女が欲しくばリーダーになれ。かくして男は切磋琢磨し、集団が生存する可能性を引き上げる。

    とはいえあぶれた男に女はあたらず、性欲を発散できない。となれば何をしたかというとオナニー、あるいはマスターベーションという奴である。もてない男はマスかいて寝ろという俗諺があるが、500万年とも600万年とも言われる人類史のほとんどで、女にあぶれた男はマスかいて寝てたわけである。例えば、コーランには礼拝の前にオナニーしたりセックスしたりしてはいけない、と書いてあったり、ラマダーン(断食月)の間は日の出から日没まで断食とあわせて自慰と性交をしてはならないと定められていたりする。また、古代ギリシャのディオゲネスは公道で自慰をしたという記録があるので、歴史が記録される頃には普通に見られる行為だったことがわかる。あるいは、古代エジプトでは、太陽神ラーが「わが手を合し、わが影にて」抱くすなわち自慰により原初の双生児を生んだと伝えられており、ラーを祭るヘリオポリスでは自慰は神聖な行為であり祝福の対象であったとか。エジプト神話の起源となると大昔どころではない。

    人類が歴史を記録に残すようになってわずか数千年に過ぎず、人類600万年の歴史のほとんどは時の彼方に埋もれたままだが、始原ヒトが族長婚(あるいは集中婚)だったということは、単なる想像と言い切ってしまえないものと考える次第である。

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