• 日本の古代史を考える—⑧南齊書・梁書

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    南齊書』は、南北朝時代の「」について書かれた歴史書です。「」の蕭子顕が編纂し、正史に数えられています。原名は『齊書』でしたが、李百薬の『北斉書』を鑑みて、「北宋」の時代に手直しされました。その列伝に、東夷伝があり、倭のことが一行出てきます。

    倭國在帶方東南大海島中漢末以來立女王土俗已見前史建元元年進新除使持節都督倭新羅任那加羅秦韓六國諸軍事安東大將軍倭王武號爲鎮東大將軍

    倭国は帯方の東南にある大海島の中にある。後漢末以来、女王を立てていた。その風俗はこれまでの正史に記載されている。建元元年(西暦479年)、
    使持節・都督倭新羅任那加羅秦韓六國諸軍事・安東大將軍・倭王武を改めて叙任し、号して鎮東大將軍とした。

    前年、「」に冊封を受けたのに、そのすぐ後に「」は「」に禅譲してしまい、新王朝に代わってしまいました。そこですかさず、あの倭王武が朝貢し、によって授けられた称号に加え、鎮東大將軍も頂きました。外交に機敏な王の姿が見えるようです。

    その「」も西暦502年に「」に禅譲してしまいます。『梁書』はの正史で、代になって、貞観三年(西暦629年)に、の姚察の遺志を継いで、その息子の姚思廉が編纂した私撰の史書です。その諸夷傳にも倭のことが見えます。ほとんどが前代の正史の引き写しなので、注目すべき所だけ抜き出します。

    倭者、自云太伯之後。

    倭の人は、太伯の末裔であると自称している。

    呉の太伯の末裔と自称しているということがここでも出てきます。中華との関係で外せないのでしょうね。しかし、全く無関係であることが明らかな場合は妄説として取り上げないでしょうから、その風俗に類似があって根拠がありそうだから、「自称す」となっているのでしょう。

    高祖即位進武號征東(大)將軍

    高祖が即位された際(西暦502年)、倭王武を進めて征東(大)將軍を号した

    またしても倭王武です。次から次へと外交の手を打つその素早さは、単に武威をひけらかすような愚鈍ではなく、非常に機敏な人であったことが偲ばれます。誰もが倭王武に比定する雄略天皇は、吉備や播磨、伊勢を討伐した記録は「日本書紀」にあるものの、海外へ遠征したことは載っていません。国内をまとめるのに忙しかった雄略天皇に、繰り返し外征する余裕などあったでしょうか。また、中華の王朝が交代するたびに、朝貢して官職の任命を請うような外交手腕があったとは思えません。事実、「日本書紀」にそのような既述はないのです。

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