• 日本の古代史を考える—補足「倭人」について

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    あちこちウェブで古代日本の資料を渉猟していると、『論衡』に見られる「倭人」は江南人のことで、日本にいた倭人ではないとする主張をよく見かける。というか、皆そういう主張をしていることに驚いた。してみると『論衡』を書いた王充はそれを知らずに引用したのだろうか。王充が生きた後漢時代では「倭」といえば日本のことだったから、知っていれば一言追記したであろうから、知らなかったのだという意見に一応肯けないこともない。しかし、

    この人たちは、江南系の倭人が、呉越の戦争や越の滅亡によって江南から南西諸島沿いに稲作を伴って日本にやってきて「弥生人」となったと、判で押したように書いている。戦乱によって避難するのが当然であれば、「商(殷)」の高宗武丁王が江南を侵略して版図に収めた時も、当然避難民が発生したとなぜ考えないのであろうか。なぜ江南人の渡来は「弥生人」に限るのか、意味が分からないよ。「商(殷)」は、20世紀初頭に甲骨文字が発見されるまで、架空の王朝とされていたため、昔は上限を弥生時代に置いていただけなのです。そうです。そのカビの生えた先人の教えを後生大事に守っているわけですな。先生の言う通りってか? 死ねば良いのに。

    つまりは、「江南人は農耕とセット」で、「農耕弥生時代とセット」という固定観念があるからに過ぎないのです。放射性炭素年代測定が適用できる資料が出土した古い水田跡がないため、この固定観念がなかなか崩れません。しかし、岡山県児島郡灘崎町の縄文時代前期(約6000年前)の地層からは大量のプラントオパールが見つかっており、少なくとも約3500年前から陸稲(熱帯ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が数多く発表されています。また、水稲である温帯ジャポニカについても縄文時代晩期には導入されていたという説も無視できないものであるにも関わらず、江南人は「弥生人」の定説だけは崩さないのです。本気で頭脳を疑います。

    こんな想像力の欠片もない学者様方に多額の税金を費やしているのが日本ですが、果たして歴史はそれを是とするでしょうか。(反語表現)

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